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ある外国人の地震体験(2)地震後、しばし泣いた
発信時間: 2008-05-27 | チャイナネット

  ジョンは記者の古くからの友人だ。地震が起こった日、記者はジョンと連絡が取れなくなり、メッセージを残せるだけだった。翌日の夕方、記者はジョンから「成都では何もできない。僕はブン川に行きたい」という簡単なショートメッセージの返事を受け取った。

  3日目の昼ごろ、記者は再び、「残念この上ないことに、上司は私の安全を考え、報道チームからはずされた」という彼からのメッセージを受け取った。

  4日目の夜のメッセージには、「寄付を届けてきた。あと、僕にできることは何だろう」と書かれていた。

  5日目、彼からのショートメッセージはとても長いもので、その大部分が現地の被災状況を伝えるものだった。最後に、「余震に備え、住民たちはここ数日テント住まいだが、僕はニュースを見たいので僕は家に残っている」とあった。

  数日前、記者が成都を経由して被災地に入り後続報道を行うことを知ったジョンは、「話をしたいので、空港に迎えにいくよ」と電話をかけてきた。

  こうして、記者が成都に立ち寄った際に、ジョンと会う時間ができた。

  彼は黒い服を身にまとい、やや疲れた表情をしていたが、気丈な様子で、「僕は崇州でボランティアをして、今日帰ってきた。被災した時、僕はしばし泣いた。この世界中が泣き、神様も泣いただろう」と語った。

  ジョンの故郷・米国シアトルでも数年前、大きな地震が起こった。マグニチュードはブン川地震ほど大きくなかったが、多くの死傷者が出た。「僕はその当時中国におり、家族も全員無事だったため、地震に対して特に何も感じることはなかった。地震はすぐに僕の心の中で遠いものとなっていった」と彼は振り返る。

  今回のブン川地震を体験したことで、ジョンの心は大きく揺さぶられた。四川に約10年住み、地元の人との深い心の絆が出来ていたからかもしれない。ジョンのショックと悲しみは、決して中国人に劣るものではない。

  「人民網日本語版」2008年5月27日


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