ホーム>>社会>>時の人
母親が苦労して育てた宇宙飛行士の翟志剛さん
発信時間: 2008-09-22 | チャイナネット

親孝行の息子は仕事をりっぱにやり遂げることで母親に親孝行した



翟志剛さんは、「自分のこれまでの人生の中で、最も大きな影響を与えてくれ、自分の記憶に最も深く残しているのは母親であり、宇宙飛行士になったことは私の母親に対する親孝行の1つでもあります」と語った。

母親も息子を誇りとし、年を取ってからも非常に息子のことを思い、頭のてっぺんを飛び過ぎる飛行機を見ると、「この飛行機は志剛が操縦しているものかも知れない」と独り言で言っていた。

2003年、母親が危篤になった時、家族は翟志剛さんの「神舟5号」宇宙飛行士選抜のトレーニングに響いては心配し、ずっとそのことを知らせず、母親が亡くなってから、この悲しい報せを彼に伝えた。兄の翟志強さんによると、2003年4月から、翟志剛さんはまる7カ月間母親と言葉を交わしたことはなかった。その実、翟志剛さんはずっと心配していた母親がすでに半身不随になってまる7カ月オンドルに寝たきりになっていることを全然知らず、母親と最後の言葉を交わしたいと思った時、母親はすでに3日間食べ物もノドに通らず、液質のものも飲めなくなっていた。11月21日、訃報が北京宇宙飛行シティーにある翟志剛さんのところに伝わった。母親が死去した2日後に翟志剛さんは故郷の家に帰り、家に入ったとたんにひざまずいて母親の霊前で中国式の礼をささげ、涙を流しながら母親に最後の別れを告げた。

翟志強さんは、弟が予備宇宙飛行士になってすでに10年間も経っており、宇宙飛行はずっと弟の夢であり、「私達はみんな弟が自分の夢を実現し、宇宙へ飛び立つことを願っています」と語った。

     1   2   3    


  関連記事
  同コラムの最新記事

· 上海国際陸上、劉翔・姚明が各国選手をもてなし

· 男性長寿世界一の田鍋さん、113歳の誕生日

· 聖火走者の金晶さんが大統領の招待で仏訪問

· 姚明ら、国連のエイズ予防特殊貢献賞を受賞

· パラリンピック閉幕 名残を惜しむボランティアたち