1960年代初めの3年は、建国史上で最も困難な3年だった。
中国は3年連続の自然災害にみまわれ、穀物や綿花の生産量が減少、物資の配給制を実施。当時は布を買うにも布票が必要だった。
さらに、耐久性が強くしわになりにくい化繊は生産されていなかったので、「上山下郷」(若い者を農村や辺境の建設に参加させる)と呼ばれた農村下放や「大錬鋼鉄」(鋼鉄の大量生産運動)の中で、綿や麻といった天然繊維の衣服は非常に破れやすく、ここから何枚もの布を縫い合わせた綿衣が生まれた。
同時の服装の装飾は継ぎと刺繍だ。
1960年代後半に文化大革命が始まり、中国は特殊な歴史的時期に入った。服装は思想意識の表現となった。この時期の服装はよく外国人に「最も中国的特色のある服装だ」と言われる。
軍服が流行し、中国は濃紺、灰色、緑だけの無彩色の服装の時代に入った。文革は政治の潮流がファッションの分野で行った専制だと言う人もいる。布拉吉(ワンピース)は修正主義、洋服は資産階級、旗袍(チャイナドレス)は封建主義の名残りだと見なされ、少しでも派手な服装をしていると「奇妙な服装」を呼ばれて、全てが批判された。服装は徐々に同じスタイル、単一的な色彩の、男女と職業を問わない軍服が流行した。
「人民網日本語版」2009年9月4日
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