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「論評」平常心の大切さ
発信時間: 2008-08-04 | チャイナネット

  初めて北京を訪れた外国人に北京の第一印象をたずねるのは、とても有意義なことだ。わたしたちを客観的に見る複数の視点は、視野を広げ、冷静になる上で役に立つ。

  数日前、北京の孔子廟を取材する世界各国の記者の中に、カナダのラジオ局の女性記者がいた。彼女は北京の第一印象について「大通りはバス、車、タクシーに溢れ、人々はみな忙しく、秩序があり、自分の目的をわかっているようだった。みな良い人で、人助けが好きで、誇りを持っている。言葉の壁を除けば、今までのところ良い印象ばかりだ」と話した。今まで想像していたことと実際に目にしたこととの違いをたずねると「わたしはカナダから来た。カナダは非常に西洋的な国で、中国は古い文明を持つ東洋の国だ。しかしこれは決して、わたしの国が必ず中国より良いという意味ではないし、中国人が必ずわたしたちのようにしなければならないという意味でもない。違いがあることは問題ではない。世界のすべての人に同じようなライフスタイルを求めることはできない」というような答えが返ってきた。

  彼女のこの話は、平常心の大切さを気づかせてくれる。

  いわゆる「平常心」は、物事に対する見方は三者三様であることを理解することだと定義できる。だが、人々が常に「平常心を持たねば」と言うところを見ると、平常心とはそんなありふれたものではなく、実は「気づき」「調整」さらには「訓練」によって初めて得ることのできる健全な心の状態なのだ。普段でもこれは難しいのだから、オリンピックとなるとなおさらだ。オリンピックは手に汗握る競技の場であり、大きな喜びと深い落胆の震源であり、大量の情報の大発信であり、さまざまな文化の大交流であり、豊富で多彩な世界の盛典であり、4年に1度の世界の祭典だ。期待と喜びは盛典のラッパであり、興奮と感動は祭典の印だ。これは人間の自然な感情であり、平常心と矛盾するものではない。これと反対に、薄暗い冷ややかさ、敵意ある攻撃、傲慢な拒絶、虚妄の傲りは、人々が尊ぶ平常心では断固ない。

  北京五輪は地球村の各地から来た人々が近い距離で観察し合い、触れ合う好機だ。人とつきあえば、必ずどんな心で臨むかが問題になる。カナダの女性記者の話が人々の胸を打った理由は、モントリオールから初めて北京に来た彼女が、異なる文明に尊重と寛容を示し、異なる国の人々に平等と友好を示し、異なるライフスタイルに理解と寛容を示したことにある。

  盛典を前に、世界各地から外国人が押し寄せる。中国人はホスト国として、真・善・美の平常心を尽くして接しなければならない。世界にはいろいろな人がいる。意図がどうあれ、偽・醜・悪の代物をわざと持ち込み、私たちの邪魔をする人がいる。そうであっても、できるだけ極端に走らず、やり過ぎず、失言も失態もさらさないようにするべきだ。肝心なのは、まず自分の事をしっかりするよう努力することだ。 

  「人民網日本語版」2008年8月4日


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