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中日両国の50年間のスポーツ交流史を振り返って
発信時間: 2008-08-05 | チャイナネット

日本バレーボール協会名誉会長、松平康隆氏は「周恩来首相は女子も男子も日本が世界一になって、中国がなれないはずがないと、強化策を推進し続けた」と振り返る。

21世紀に入って、中国の経済は目覚しい発展を遂げており、中日のスポーツ交流も新しい時代を迎えている。日本選手は相次いで中国で合宿を行い、卓球、飛び込みなど、世界最強の中国に学ぶところもある。    

1990年代から、日本のマラソン選手の高地トレーニングに中国雲南省の昆明がよく使われている。日本の女子マラソン選手、野口みずき選手もこの地の雰囲気が好きだという。中国側は日本マラソンに対する指導方法に興味を示している。体育訓練基地の主任、沙応正氏は北京五輪の女子マラソンや競歩で、日本と中国がメダルを争うことに対し「感慨深い」と話した。

北京五輪ではさまざまな競技で中国人コーチに教わった日本選手や、中国出身で日本国籍を取得した選手が出場する予定だ。中でも、日本卓球女子の福原愛選手は特別な存在だ。卓球を始めたころから中国人コーチの指導を受け、中国語も堪能で、中国でも日本と同じくらい人気がある。これに対し、1961年に北京世界卓球選手権に出場したことがある松崎キミ代さんは「時代の変化ですね」と感無量に言った。

半世紀以上にわたって、日本と中国のスポーツ界はライバルでもあれば、友人でもあった。今日、中日両国のスポーツ界は同じ思いを胸に、北京五輪の開催を迎える。

「 北京週報日本語版」より2008年8月5日

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