こうした時代での唯一の活路は、商業化である。オリンピック委員会はプロスポーツ選手の五輪への参加を徐々に解禁してきた。92年バルセロナ大会では、米プロバスケットのスターが「ドリームチーム」を結成、プロの流れは最高潮に達した。商業化された五輪は試合のレベルを高めはしたが、五輪には誰もが認める危機がもたらされた。完全に商業化されたなら、米国や欧州の一部のビジネスボールゲームとどんな違いがあるのか。とくに多くの種目で、各国選手は長年にわたり米国でトレーニングを積み、試合を行っており、五輪は新たに調整して再戦するに過ぎないものになる。だからだろう、五輪トレーニングの大本営として米国では、五輪の視聴率が大幅に低下している。商業的な五輪が一つの歴史的段階となるかどうかは、疑問だ。
だが、北京五輪はこうした誰もが認める危機に終止符を打ち、人々に再び五輪に興奮を感じさせ、一つのグローバル化された時代を切り開くかも知れない。グローバル化は国際経済秩序の整合性を意味するだけでなく、その過程で中印など途上国の大国も台頭した。スポーツでは、選手コーチの人材流出が日常茶飯事であり、国境がなくなってきたようだ。だが、五輪は台頭する大国が世界に発言し、宣言する舞台でもある。これは決して主催国の願いではない。西側メディアは早くから音調を上げ、大国のクラブに入ったばかりのメンバーをしっかり観察しようとしている。メディアの報道は自然、連綿と続いており、とくに中国と米国との金メダル獲得総数の争いなど、過去数回の大会をはるかに上回るほどだ。巨人が闘う時代の五輪による刺激が再び戻ってきた。これが、北京五輪が切り開いた時代なのかも知れない。
「チャイナネット」 2008年8月11日
|