欒菊傑は07年初め、北京大会に出場するための行動を始めた。ワールドカップに参加したことがなかったため、出場資格の獲得につながる全ての試合に出場し、夢の実現に向かって一歩ずつ駒を進めていかなければならなかった。
今年50歳という欒菊傑の年齢はコーチとしても高すぎるほど。だが欒は子どもと同じくらいの相手を次々と負かし、1年ほどの間にランキング200位以外から2位にまで駆け上がってきた。
欒は07年5月から半年の間に、韓国・中国・日本・アルゼンチン・キューバ・米国・ロシアの7カ国を訪れ、五輪出場につながる8大会に出場した。
08年2月から3月までの間には、オーストリア・ドイツ・フランスなど欧州で行われた6大会に出場した。ある試合では、サイズの一回り小さい靴を間違えてはいてしまい、足の爪が全て青く変色してしまうというアクシデントもあった。7月には手の指に魚の骨を突き刺してしまい、夜には腕全体がはれ上がってしまうということもあった。やっと見つけた薬を飲んだら、アレルギー反応が出て、剣を持ち上げることすらできない状態になったという。さまざまな困難が襲ってきたが、欒の五輪出場にかける意志は揺るがなかった。
国際フェンシング連盟は今年5月、北米地区の女子フルーレ選手として、欒菊傑の五輪出場を決定。欒のがんばりはついに報われた。
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