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外交部長、改革開放以来の中国外交を論述(上) |
発信時間: 2008-11-26 | チャイナネット |
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1978年に開かれた中国共産党第11期中央第3回全体会議は、改革開放の歴史的な新時代を開いた。この史上かつてない改革開放は、我が国と世界との関係に歴史的な変化をもたらし、中国の外交も新しい歴史的な時期に入った。 この30年、党中央の力強い指導の下、情勢に順応し、積極的に開拓してチャンスを把握し、挑戦を対処し世界に注目される輝かしい成果を収めた。我が国の国際的地位も著しく向上し、世界に与えた影響も日増しに拡大し、世界各国との友好協力関係も全面的に発展してきた。北京五輪は空前の盛況の中で行われたことは、これからの我が国がさらに開放した姿で、世界の舞台で活躍することを意味している。 1、改革開放以来の中国外交は、3つの重要な歴史的な発展時期を経て重要な成果を収めた (1)東側と西側の「冷戦」、1970年代末から1980年代末にかけてしだいに終結し、世界多極化の動向で日増しに発展してきた。鄧小平氏はチャンスをつかみ、高遠なところに目をつけ、適時に一連の重大な戦略調整を行って、中国外交の新しい局面を切り開いた。 まず世界情勢を科学的に判断し、外交戦略を根本から調整した。鄧小平氏は国際情勢と時代的なテーマについて新たな科学的な判断を下し、平和と発展が今の世界の大きな2つのテーマで、世界大戦は目の前に迫っており免れられないものだと指摘した。これは経済建設に力を集中する私たちに大切なよりどころを提供し、一連の重要な外交政策の調整にも基準を提供した。 第2、独立自主と同盟を結ばないことを打ち出し、各主要大国との関係を改善し発展させた。すべての力を結合して旧ソ連と対抗する「一本線」の戦略を調整し、いかなる大国や国家グループとも同盟を結ばず、イデオロギーの違いで国家関係の親疎を問わない。 中米は1979年1月に正式に国交を樹立し、両国各分野の交流や協力が安定的に発展した。ソ連との関係も次第に緩和し、1989年5月には中ソ関係の正常化が実現、日本や西ヨーロッパ、東ヨーロッパ各国との実務協力にも目覚しい発展が見られた。 第3、隣国との歴史で残された問題を適切に処理し、周辺国との関係改善や発展を促進。東南アジア諸国に対する政策を調整し、政党関係と国家関係を厳格に分け、中国の東南アジア諸国との国際関係を大いに改善した。中印国境問題の解決には5つの意見を提出し、インドの高官との相互訪問や国境交渉が回復した。 第4、広範な発展途上国と着実な協力を促進し、平等互恵、実績追求、多様形式、共同発展の経済協力の4原則を打ち出し、発展途上国との関係にさらに深い経済的な基盤を固めた。 第5、国際と地域作業で役割を果たし、国際的な影響力を拡大。カンボジア問題の政治的解決プロセスに積極的に参加し、東南アジア地域の緊張情勢の緩和に役割を果たし、アフガニスタン問題の解決に中国なりの貢献を行った。 第6、創造的な「一国二制度」の構想を打ち出し、祖国統一の大事業を促進。鄧小平氏は1982年、「一国二制度」の原則に従って香港を提出した。中国政府は並々ならぬ交渉を経て1984年7月と1987年4月に、イギリス政府から香港、ポルトガル政府から澳門(マカオ)を回復し、主権を行使する共同声明に調印した。 |
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