1970年4月24日、中国初の人工衛星「東方紅1号」が打ち上げられた。人々はこの吉報を喜々として読んだ(新華社)
大国へ飛躍の礎築いた30年
50年代、新中国はまだ帝国主義の軍事的脅威と核による威嚇にさらされている状況だった。これに対し、党中央は前後してミサイル、原子爆弾、人工衛星(「両弾一星」)の開発・発展という戦略的決定を下した。
64年、中国は最初の原爆実験に成功。2年後、ミサイルを使用した原爆実験に成功。翌67年、最初の水素爆弾の実験に成功。70年、最初の人工衛星「東方紅1号」が打ち上げられた。これらの世界を驚かせた成果の背後には、共産党員を中心とした大勢の科学者がいた。彼らは苦労をいとわず(5)、名利を求めず、十年一日のごとくうまず仕事をし、ゴビ砂漠や深山幽谷で生活し、そこで尊い命をささげた人さえもいた。
米国で博士号を獲得した郭永懐は、帰国して「両弾一星」の開発に参加することを選び、61年に中国共産党に入党した。郭永懐は、祖国が一日も早く強くなり、永遠に侮辱されないことを望んでいるだけだと語った。
68年、郭永懐は飛行機の墜落事故で亡くなった。遺体が見つかった時、服は焼け焦げていたが、警護員としっかり抱き合ったままで、研究資料の入った書類かばんは二人の間には挟まれて無事だった。
鄧小平は後にこう述べている。「もし60年代以降、中国に原爆や水爆がなく、衛星を打ち上げていなかったら、中国は重要な影響力を持つ大国と呼べず、今のような国際的地位はなかっただろう」
同じ時期、中国は科学技術の面で多くのブレークスルー(突破)を実現した。65年、初のインスリン結晶の人工合成に成功。73年、毎秒100万回の計算速度を持つ集積回路コンピューターの開発に成功。同年、インディカ種ハイブリッド米の栽培に成功した。
また、共産党員の屠呦呦氏が研究チームを率いて72年、新しい抗マラリア薬アルテミシニン(青蒿素)の開発に成功し、全世界数百万人の患者の命を救った。その後も数十年にわたり、彼女は引き続きこの課題に黙々と取り組んだ。そして2015年、アルテミシニンの発見により、中国初の女性ノーベル賞科学者として医学・生理学賞を受賞した。
まさに郭永懐や屠氏のように、国家の科学技術の事業は個人の名利や生命より重要だと考える科学者たちこそが、新中国の科学技術発展の礎を築いたのだ。
1971年10月、中華人民共和国は国際連合(国連)における全ての合法的権利を回復した。76年までに新中国と国交を樹立した国家は110カ国余りとなり、中国を取り巻く国際環境は大いに改善され、中国の国際的地位は大いに向上した。これは、その後の改革開放や国際的課題へのより積極的な対応のために有利な条件を創り出し、基礎を打ち立てた。これらの成果は、中国共産党が中国の社会主義建設の道を模索する好スタートを切った証しである。
しかし、模索の道は決して平坦ではない。中国共産党は新中国成立からの30年間、社会主義建設の経験が欠如していたため、実情から遊離したり、発展を焦って盲進したり、国内外の情勢への判断を誤ったりしたことにより、国の発展が一時的に回り道をしたこともあった。しかし、中国共産党は人民の声に応え、大衆の力をよりどころにしてさまざまな挫折を克服し、中国の社会主義建設を正しい軌道に乗せることができた。だからこそ、党が新中国成立からの30年間の模索において経験した成功と失敗、得た経験と教訓は、改革開放後の各事業の飛躍的な発展への準備となり、基礎となったのだ。(王焱=文)
人民中国インターネット版 2021年7月12日