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2004年
発信時間: 2007-12-19 | チャイナネット

3月26日、聯想(レノボ)グループはIOCと、第八期IOCのグローバルパートナーとなることを決めて調印を行い、IOCのグローバルパートナーとして最初の中国企業となった。

5月7日から16日にかけて、バドミントンのトーマスカップとユーバーカップの大会がインドネシアのジャガルタで開催された。中国男子チームは全勝の戦績で12ぶりにトーマスカップを獲得した。ユーバーカップで中国女子チームが四連覇をなしとげた。

7月1日、アジアオリンピック理事会第23回総会が中国の広州市を2010年アジア大会の主催都市と決めた。広州アジア大会は北京五輪に次いで中国が主催する重要な国際スポーツ大会となった。

8月13日から29日にかけて、第28回五輪大会がギリシアのアテネで開催された。中国チームは金メダル32を獲得し、初めて金メダル数で二位となった。9月17日から28日にかけてアテネで開催されたパラリンピックで、中国障害者代表団は金メダル63を獲得し、初めて金メダル数でトップとなった。中国代表団の戦績は歴史的な突破を遂げた。

8月27日、劉翔選手は12秒91の成績で男子110mハードルの金メダルを獲得し、世界タイ記録を樹立し、欧米選手のこの種目における優位を切り崩した。中国選手はカヤック、テニス、レスリングなどの種目で五輪大会の金メダルを獲得した。

アテネ五輪の終了後、オリンピック大会は北京サイクルに入った。実務的という原則に基づき、北京五輪組織委員会はもともと「2006年にすべての競技施設が完工する」という承諾を、「2007年に竣工」に改めた。また、国家スタジアムとオリンピック競泳センターの工事を一時的に中止し、元のデザインを再検討し、国家スタジアムのデザインにおけるオープン式のルーフを取り止めることにした。

9月24日から26日にかけて、F1がはじめて上海国際サーキット場で行われた。フェラーリコンストラクターであるブラジル国籍のルーベンス・バリチェロ 選手は1時間29分12秒420の成績で、F1で上海グランプリの最初のチャンピオンとなった。

「チャイナネット」 2007年12月

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