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大メコンに生きる(2)喜びも悲しみも水とともに
発信時間: 2009-06-26 | チャイナネット

 

それでも水上生活は続く

トンレサップ湖沿岸の漁船を作っている村
早朝に漁をして戻ってきたタイの漁民たち
 漓江の一部の漁民はすでに漁で暮らしを立てるのをあきらめ、観光業に鞍替えしている。観光船の商売をする人や、伝統的な家庭料理の魚料理の小さなレストランを経営する人もいる。村の人々も交替で川で魚を捕るショーを観光客に見せて写真を撮らせ、チップを稼ぐようになった。しかし、黄六七さんとその兄、叔父の三人は決してその中に加わろうとはしなかった。「私たちは鵜飼い漁に育てられてきたようなものです。鵜飼いを続けていかなくては」と叔父の黄運八さん。

ところが、ある日黄六七さんが、長い間心の奥に隠していた気持ちを思い切って口にした。鵜を売るという。

「鵜を売るのは先祖代々の土地を売るのと同じことだ」と兄の黄六四さんが激しく反発し、テーブルを叩いた。

黄六七さんは言う。「かつては多いときで、一晩のうちに150キロ以上の魚を捕ったこともあった。今や観光の船が増えたうえ、こっそりと爆弾や電気を使って魚を捕るような輩まで現れた。こうなってしまったら、鵜飼いでなど魚が捕れるものか。どこに魚があるっていうんだ。昔は漁をするときには鵜の首をゆるく締めたものだったが、どんどんきつく締めるようになってしまった。今の締め方を見てみろ。明日には首が折れちまうかもしれない。折れちまうくらいなら、売るほうがいいじゃないか。鵜を殺すよりましだ」

黄六七さんは鵜に深い愛情を抱いている。鵜は彼らが生まれて初めて見た鳥で、幼いころから水辺で一緒に遊んできた友だちだった。一羽一羽の鵜とともに大人になったのだ。

結局、黄六七さんは鵜を売った。その金で、観光用の船を造ることにしたのである。祖先代々引き継いできた生活スタイルを変える決心をしたのだ。

トンレサップ湖地区に、ようやく雨が降った。水流が魚の群れをトンレサップ湖に連れ戻し、ニムさんに希望をもたらした。ニムさんはもはや怨み言を口にしたりせず、子どもたちにもっと努力をしなさいというだけだった。祖先代々の漁をする生き方以外で自分が生計を立てていけるのかどうか、ニムさんにはまだ分からない。しかし敬虔な仏教徒として、祖先たちを守ってきてくれた仏様は、きっと自分たちのことも引き続き守ってくれるであろうと信じている。

観光船が完成し、黄六七さんの新しい生活が始まった。黄六七さんは船長として、毎日観光客に故郷の美しさを紹介している。いずれにせよ、彼らの生活は水の上で続いてゆく。(文・写真=李暁山)0808

 

人民中国インターネット版 2009年6月26日

 

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