チベット自治区が成立して以降の40年間、中央はチベットにおいて一連の特殊優遇政策を実施し、巨額を投じて経済インフラ施設を建設、改善し、チベットの社会生産力を三回にわたって飛躍させた。
チベット自治区経済界関係筋によると、第一回目の飛躍は1959年に始まった民主改革時代、第二回目は改革開放後の「二つの長期不変」政策時代、第三回目は中央の第三回チベットに関する業務座談会召集以降である。
1959年、チベットは一挙に封建農奴制の束縛を打ち砕き、社会主義制度を確立して、根本的に生産手段の所有権を改変した。解放された農奴は初めて自分の土地、家畜、生産道具を所有し、彼らの生産に対する積極性が引き出された。糧食生産だけとっても、1951年の15万トン弱から1965年には自治区成立時の29万トンにまで増加し、人々の生活は初歩的な改善を見ている。
1980年3月、中央は第一回チベットに関する業務座談会を招集し、党の第十一期三中総の精神を貫徹して、チベットの業務重点の転換を実現した。1984年、中央第二回チベットに関する業務座談会で、チベット建設支援43項目プロジェクトを決定し、「土地の各戸返還、自主経営、長期不変」、「家畜の各戸返還、私有各戸飼育、自主経営長期不変」、農牧業税免除など一連の優遇政策を明確に実施した。耕地、家畜はそれぞれ農牧民の手に入り、労働に応じた分配と言う社会主義的分配原則が推進され、さらに広範な農牧民の生産に対する積極性、主体性、創造性を引き出し、チベット自治区の社会生産力の第二回目の飛躍をもたらした。
今回の生産関係の調整によって、チベットの土地資源は十分に開発、利用されるようになり、科学技術が農業発展の新たな生産力となった。チベットでは毎年33万人の農民が化学肥料施肥、優良品種精選、薬剤播種、機械耕作などの技術訓練を受けているので、土地の生産効率が高くなり、多くの人々の衣食住問題が解決している。わずか10余年間で、種子は数世代も更新され、1ムー(15ムーは1へクタールに当たる)当り生産量も年毎に向上している。同時に軽工業、建材、セメント、ビールなどの工場も建設され、民族工業が急速に振興している。チベット自治区の統計によると、20世紀80年代以降の経済成長の中で、科学技術の貢献度は28%にも達している。
中央の第三回、第四回チベットに関する業務座談会以降、チベットに対して「同業対応支援、割当責任、定期的交代」政策が実施され、国は正常項目の建設を保証すると同時に、チベットに対する62項目プロジェクト、117項目プロジェクトの支援を行い、財政税務、貿易、金融などの方面で優遇政策を与えることを決定した。満拉水利中枢工事、羊湖発電所、青海=チベット、四川=チベット道路の整備改造などの工事の完成により、チベットの立ち遅れたインフラ施設は改変され、市場経済に適応するインフラ施設が基本的に確立されている。
チベット自治区は10年余の期間で総合経済力を伸長させると同時に、構造の調整を重視して経済成長方式を転換し、優位性のある資源に依拠して旅行、チベット医学医薬、鉱業などを支柱産業とし、資源の優位性を経済の優位性に転換させたため、社会生産力は三回目の急発展を遂げた。農牧民の糧食、油、肉の基本的自給を実現し、生産力の基本的要素としての生産道具は世代交代し更新されている。伝統的な生産、生活方式は現代的な方式に取って代わられ、情報技術、ハイテク技術の役割が日増しに増大している。
国の特殊優遇政策によってチベットの生産力は持続的に急発展しており、自治区の経済は連続して持続的成長を維持している。チベットの総生産は1999年には100億元の大台を、昨年は200億元の大台を超えて211.54億元に達している。新世紀に入ってからの4年間、チベット経済の年平均成長率は12.5%にも達し、西部12省、直轄市、自治区の中で第三位であった。
「チャイナネット」2005/08/24