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パリ 自らを懲らしめる |
発信時間: 2008-04-11 | チャイナネット |
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北京五輪聖火リレーがパリで阻害された事実に対し、フランスのあるメディアは非常に興奮しているようだ。『フィガロ』は第1面のトップニュースで、「聖火トーチはパリで惨敗した」をトップ記事のテーマにし、『リベラシオン』の1面トップニュースのテーマは、「中国にびんたを食らわした」だ。これらのメディアは他人の不幸を見て喜ぶような口ぶりで中国の「失敗」を描き、その文章の中にはヒステリックな狂喜が見られる。 これは「厳格で客観」と知られるフランスの主流メディアなのだろうか。文明を尊敬し、異なるものに対していくらかの尊重をしてきたフランスなのだろうか。 確かに2008年オリンピックの主催地は北京で、主催国は中国である。しかし聖火リレーを主催しているのはパリで、主催国はフランスであることを忘れてしまったのだろうか。パリでの聖火リレーは、パリとフランス自らのイベントだ。パリ市官庁、フランスオリンピック委員会こそが、このイベントの正真正銘の主催側だ。パリでの聖火リレーは混乱に陥り、何回も阻害された。そしてパリ市とフランスオリンピック委員会が、このような重要なイベントで苦しめられたことをフランス人は恥としないで、どうして逆に光栄と思うのだろうか。 あるフランスのメディアやフランス人は、「自由の都」と呼ばれるパリでは、全ての人が集会やデモ、抗議をする権利を持っており、政府はこれを干渉する権利はないと言う。しかし大勢の人が指摘していた通り、暴徒は聖火トーチの走者に突撃し、トーチを奪い、聖火を消そうとした。この行為は、正常なデモや抗議の範囲を超えている。そして他の人の自由と公共の秩序を妨げ、世界の人々が尊重しているオリンピック精神も破壊した。この過程で妨害者の多くが逮捕され、リレー走者が誰も逮捕されなかったのは、法律は後者を合法で正義、前者を犯罪と認めたということだ。フランスの「人権宣言」にも、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある」と書いている。 中国語では、フランスを「法(律の)国」と言い重視してきた。しかしフランス文明の薫陶を受けたパリの編集者や記者、議員たちは、突然、法律を守ることと違反することが区別できなくなり、犯罪者の立場に立った。これはある国の憤った青年や、フランスで自動車を燃やし商店を略奪する移民の青年を思い出させる。貴族のような上品な気質を持っているパリが、いつからこのような普通とは異なる思想に感化され始めたのだろうか。 フランスの人々も知っているように、聖火リレーを完成させるのは、オリンピック精神を発揚することである。そして聖火リレーの組織側と参加者にとっては神聖な権利であり、これらの人々の神聖な権利は守られるべきである。聖火リレーの途中、フランスにいる中国人は全力を尽くして聖火を歓迎し保護した。これも神聖な権利であり、聖火リレーについての見方やアピールであろう。しかしフランスのあるメディアや政治家は、驚くことにこうした見方やアピールを無視した。あるフランス人は、「チベット独立」分子が騒ぎを起こす権利だけを見、オリンピック精神を発揚する権利を無視した。もしフランス人の「近代五輪の父」と呼ばれるクーベルタン男爵がこれを知ったらどう思うだろうか。 フランスは政治、経済、文化などの分野で、世界に偉大な貢献をした文明のある古い国である。そしてそんなフランスを、中国人は尊敬している。そのためヨーロッパといった時に、まず中国人の頭に思い浮かぶのはフランスだ。しかしフランスのあるメディアが、もし自分たちが人よりすぐれていると考え、中国のいわゆる人権問題についてあれこれあらを捜す資格があると考えるのなら、それは間違いだ。傲慢と偏見にフランス人の目がくらみ、この美しい文明の都に泥を塗った。 フランス人が認めなければならないのは、彼らのパリでの聖火リレーの行動はあまりよくなかった。「文化の都」と呼ばれるパリの国民議会は、聖火リレーに不満な議員の反対意見を述べさせるだけで、聖火リレーが通過する時には特に休会した。ベルナルド・ラポルテスポーツ大臣は暴徒の犯罪を、「オリンピック精神への一種の皮肉」や、「フランスのイメージにとって決していいことではない」と非難したが、その後、この「文化の都」のある政治家はラポルテ氏に、「いったいどの陣営に立っているのか」を明らかにするよう要求し、「人権を守らない人は、常に独裁者、自由の敵と同じ陣営だ」と、中国の文化大革命時代の言葉を使った。この「文化の都」のあるメディアは数多くのページを費やし、数十日の間に約6つのトップニュースや社論を掲載する一方で、情報に対する選別やさらには取捨選択を行った。 『ル・モンド』は数日間に、「フランス大統領が北京五輪の開幕式に出席する3つの条件」や、「IOCは北京五輪聖火リレーを中止させることを検討する」などの不実な記事を掲載した。これらの行為と言論は、「自由、平等、博愛」というフランスの精神を具体的に表しているのだろうか。どの陣営かと迫り、無理強いをするやり方は、「自由の友」と言えるのだろうか。 フランスのメディアはフランスでの聖火リレーを「惨敗」や「びんたを食らわした」と呼んだ。もし本当にそのようであるならば、フランス人が全力を尽くして、自らにびんたを食らわしたのである。数日の興奮と騒乱の後、最も偏屈な人も、今回の事件では勝利者がいないことが分かり、最も大きな失敗者はパリであると認めることになるだろう。今回の事件が損害を受けたのは、多くの意見を包容し、博愛や寛容というパリへの燦々と輝くよい評価である。打ち砕いたのは、パリの人々がずっと大事にし、誇りとしてきた体面である。 「チャイナネット」 2008年4月11日
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