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雲南の少数民族の祭り(一)
雲南は中国の少数民族の最も多い省であり、中国は56の民族があり、雲南には漢族の外、25の少数民族が集まって居住している。これらの民族は、イ族、ペー族、ハニ族、チワン族、タイ族、ミャオ族、リースー族、回族、ラフ族、ワー族、ナーシー族、ヤオ族、チベット族、チンプオ族、ブーラン族、プミ族、ヌー族、アチャン族、トーアン族、ジーヌオ族、シュイ族、蒙古族、プイ族、トールン族、満州族である。同省の少数民族の人口は省の総人口の33.41%を占め、その中の15の民族が雲南省にしか居住していない。各民族の祝祭日もさまざまである。
繞三霊
ペー族の繞三霊は大理の洱海の周辺に住むペー族の人が農繁期に入る前の春に行う歌舞の盛大な集会である。
毎年の旧暦4月23日から25日まで、洱海の周りで百以上の村の老若男女は、盛装をし、村ごとに隊を組んで大理の古城から出発し、洱海湖畔の河矣村に行って、三日間行う。各隊のリーダは2人の年上の男子がつとめ、彼らは1本のヤナギの木を共同でわきに挟む。ヤナギの木の長さが8尺あまり、その上にカラーの絹布を一枚とヒョウタン一つがかけてある。
片手は枝をわきに挟み、片手は蚊を追い払うほうきか、うちわか、またはタオルを持ち、1人が歌い、1人がたたき、その後ろに喜びにあふれた男女がぞろぞろついていく。
本主祭
「本主」崇拝はペー族地区できわめて普及している。大理一帯のペー族の部落ではほとんど「本主」が村の保護神として祭られている。「本主」としてあがめられているのは神仏、菩薩、竜王、君主、将軍、さまざまな神霊と民間の伝説に出てくる英雄豪傑などである。「本主」祭りは主に「本主」の誕生日、忌日またはその他の記念日を祭りの日とし、それが発展して地区の祭りになった。大理地区に本主が多く、「本主」祭りの名目もさまざまである。本主祭りの主な内容は本主送迎、誦経、焼香叩頭、歌舞、遊楽、競技などである。
剣川石宝山歌会
ペー族の剣川石宝山歌会は毎年旧暦7月末から8月初めにかけて三日間行われ、剣川、雲竜、蘭坪、鶴慶、麗江など各県のペー族の数万人の若者が期せずして石宝山の石鐘寺、宝相寺などの山野に集まり、ペー族のラブソングを歌う。歌声は婉曲優美であり、それで伝説に出てくる2000年前の若くて美しい女性の歌手を記念し、同時に新しい友人をつくり、ひいては生涯の伴侶を探す。
三月街
ペー族の大理三月街は雲南省では名が知られている物資交流大会であり、ペー族の伝統的な盛大な祝日である。
毎年の旧暦3月10日から21日まで大理古城の西側で行われる。1991年から、「大理ペー族自治州三月街民族芸術祭」と定められた。三月街では歌舞、競技、歌くらべ、競馬などの活動も行われる。
たいまつ祭り
たいまつ祭りは、イ、ペー、ナーシー族、ラフ、プミなどの少数民族の共通の伝統的祝日で、期間は旧暦6月24日から26日までで、活動の内容は民族によって違うが、例外なくたいまつを焚く。
旧暦6月24日、北斗星の柄が上に向くと、イ語を話す民族はたいまつ祭りを催す。たいまつ祭りは星回節とも呼ばれ、俗に「星は天に戻って除夜を迎える」と言われ、イ暦の新年にあたる。
たいまつ祭りの主な活動は夜に催され、人々はたいまつに火をつけ空を照らして祈り、汚いものを除き、吉祥を求め、あるいはかがり火を焚いて、盛大な歌舞娯楽活動を行う。たいまつ祭りの期間に、伝統的なレスリング、闘牛、競馬などの活動も行われる。
ペー族のたいまつ祭りは火を崇拝する一種の象徴的形式である。毎年の旧暦6月25日に、村々は中心部に大きなたいまつを立て、ブタを殺して各世帯に等分して、「生皮」(生肉を細かく切り、水をつけて食べる)を食べ、たいまつを祭る。夕食の後、人々は互いに火を燃やして、邪悪を除き、吉祥を求める。農家はたいまつで田畑を照らして、豊作を祈る。
生花祭り
旧暦2月8日、大姚県のイ族の人々はいろいろな生花を採集して、吉祥如意を象徴する色鮮やかな牌坊や花棚に編む。家の前、田畑、牛羊の体の上に花を挿して、五穀の豊作と家畜の繁殖を祈る。人々も互いに花を挿して、無事と健康を祈り、祝福し合う。老若男女は輪になって座り、蘆笙に合わせて歌をうたう。若いカップルは互いに寄り添って歌を歌い、笑ったりする。生花祭りの由来はいろいろの説がある。もっとも広く伝わっているのはミイルの伝説である。言い伝えによると、ミイルは聡明で美しいイ族の娘で、姉妹たちをボスの侮辱を受けないようにするため、ボスと結婚することを承諾した。結婚式でボスと一緒にネムノキの入った毒酒を飲み、自らの命を犠牲にして、悪人を除いた。そのため、毎年ネムノキの花が咲く頃、イ族は盛大な生花祭りを催し、美しくて善良なミイルを記念する。
賽衣節
大姚のイ族の賽衣節は服装祭りとも言い、毎年の旧暦3月28日に催される。伝説によると、ミポロンというイ族の娘を記念するためのものである。彼女は悪徳のボスを除くため、自分を犠牲にし、死後は美しい小鳥になった。祭りの期間に、現地のイ族の娘たちはきれいな服を数着持って三台区の踊り場に集まり、輪になって若者の月琴、チャルメラの伴奏で手を引いて踊り始める。しばらく踊ってから、踊り場から離れて新しい服に着替え、そのあとまた踊りにくる。それで娘たちの器用さ、豊かさ、美しさを比べる。イ族賽衣節の観光は一種の享受で、心や目を楽しませる。競技場では、色とりどりの服飾が次々と披露されて、見るのが忙しくなるほどである。
隴端節
富寧県のチワン族が旧暦1月から4月にかけて催す隴端節は隴端街ともいい、「広くて平らなところに行くという意味である」。言い伝えによると、隴端節は700余年の歴史があり、チワン族の英雄儂智高を記念する活動に起源している。祭りの期間に、人々は盛装を凝らして歌ったり、踊ったりして、非常ににぎやかである。いく日も続けてチワン族の芝居が上演され、昼間は立ち回りを主とする芝居を上演し、夜は唱を主とする世話ものの芝居を上演する。芝居と歌のやりとりのほか、若い人は祭りの時はとても活発で、歌のやりとりや踊りを通じて互いに知り合い、また才能と容貌および人柄など比べて、本年度の最もよい「傑出した人」を推薦する。
カチュョワ
「カチュョワ」は独竜江地区でトールン族の一年のうち一つしかない祭りであり、一般は収穫後の旧暦12月に催される。1日目はどの家も彩色の掛け毛布をかける。
夜になると、一家が酒を飲んで占いをし、来年の豊作を祈る。二日目は山の神を祭り、そば粉で山神とさまざまな野獣をつくって祭る。三日目は牛を殺して天を祭り、祭りはクライマックスに達する。婦人は祭りに使われる牛にトールン毛布をかけてやり、角の上に色とりどりのひとつなぎの珠を掛けて、牛を柱につなぎ、すべての人は牛を囲んで踊る。
牛を殺す者は梭標(両刃の刀を先につけたやり)を持ち、祭りの場に入ってくる。肩を抱きあい、腕を組んで同心酒を飲み、踊りながら牛を殺す。牛が倒れた後、まず牛を祭り、それから牛肉を分け合い、牛の頭を背負って荒々しい牛頭の踊りをする。踊りが終わると、みんなはかがり火をたいて、焼き肉を食べ、酒を飲みながら歌を歌い、明け方になってからよくやく解散する。
木脳縦歌
徳宏タイ族チンプオ族自治州にあるチンプオ族は、歌と踊りをよくする民族である。彼らは長期にわたる生産と生活の中で、生き生きとして、荒々しく熱烈な踊りを多く創り出した。その中に「木脳縦歌」という特別ににぎやかな歌舞の祝典がある。それは「みんなが踊る」という意味である。それは代々伝えられて、チンプオ族の盛大な伝統的祝日となった。最も壮観なのは、何百何千もの人が並び、ぐるぐる回って踊る場面である。聞くところによると、それは人々に柱の上にある旋回する図案の示すところに従って、祖先の発源地にさかのぼっていき、自分が誰の子孫なのかをしっかりと銘記させるためである。
(続く)
「チャイナネット」2001年11月27日
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