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雲南の少数民族の祭り(二)
刀竿祭
リス族の旧暦2月8日の刀竿祭はリス族の大の恩人であった古代の漢族の英雄を偲ぶためのものであると伝えられている。リス族の人びとはこの英雄が命をささげた日を自分たちの民族の伝統的な祝日と定め、刀の山をよじ登り、火の海に身を投じるなどの象徴的な儀式を催し、いかなる犠牲も惜しむことなく、艱難辛苦をものともせずに報いる気持ちを表すことにしている。刀竿祭の日には、数名の屈強な男子がまず「火を踏みつける」儀式を実演してみせるのである。素足のままで、燃えさかっている炭の中に飛び跳ねるように入って行き、さまざまな特技を演じるのである。翌日、この男子たちは36本の長い刀を鋭く磨きあげ、刃を上にして、藤の枝の縄でそれぞれ2本の20メートルの高さの木に縛りつけて刀のはしごをつくる。演技者は手に何も持たず、素足のままで、鋭い刃を踏んではしごのてっぺんまでよじ登り、その上でさまざまな難度の高いテクニックを演じる。今では、このスリリングな伝統お祭りの儀式は、すでにリス族の男子たちが特技を演じて見せるスポーツ活動に変わっている。
山巡り会
山巡り会は寧蒗県のプミ族の人たちが旧暦7月15日に催す山の神を祭る盛大な祝日である。その日になると、村ごとに隊を組んで、山の神を祭るスリマ酒、牛乳、祭文などを持って、祝日を祝うため、あらかじめ決めた山頂に向う。途中、「過水」(顔を洗う、泉水を飲む)、「過煙」(線香を立てる)などをおこない、山頂に到着してから伝統的な儀式を催し、幹木女神の化身獅子山を拝する。夜になると、人々は山頂で野宿し、明け方までたき木の火のまわりで踊る。
棒棒会
毎年の旧暦1月15日は麗江のナーシー族が「棒棒会」を催す日である。その日、麗江では人がいっぱいで、町には取引のための竹、木材、鉄製の農具や果樹の苗木、花きなどがいっぱい置かれている。棒棒会はその年の旧正月の終わりと春の農作業の始まりを示すものである。
ロバ・馬の会
麗江県のロバ・馬の会は年に2度おこなわれている、つまり「3月会」と「7月会」である。3月会はもともとは黒竜潭会といわれ、清の時代に、ナーシー族の人たちが竜王を祭り、豊作を祈り、物資の交流を行う行事であった。旧暦3月の中旬に催され、5日間ないし7日間行われることになっていた。もともとは黒竜潭のほとりの広場で催された。「7月会」は民国期の元年から始り、役畜の取引もおこなわれ、旧暦7月の中旬か下旬に催され、約10日間行われる。もともとは麗江の獅子山の裏側の斜面で催された。市場に出回るロバと馬は1万頭に達する時もあった。
クザザ祭
元江県のハニ族の人たちの「クザザ」祭は、毎年の5月の最初のサルの日から、三日間ないし五日間催される。五穀豊穣、人と家畜の安泰を祈る盛大な祝日である。その時になると、ハニ族の村の至る所は喜びに満ち溢れる。人々は色とりどりの盛装を着て、群れをなし、隊を組んで磨秋場(ぶらんこ遊びをする場所)に集まり、ぶらんこを楽しんで祝日を祝う。伝統的な習慣によると、祝日の初日には、各村の人々は高い山の頂上にまで登って青々としてまっすぐな松の木を1本切ってきて、村はずれの磨秋場でぶらんこを支える柱を立て、また栗の木とトウのつるで回転ぶらんことぶらんこをつくる。続いて、人望のある年配の人がまずぶらんこに乗って見せる。象徴的に何回か楽しんでから、その他の人がやり始めることになる。翌日、祝日のクライマックスとなり、磨秋場にはたいへんな人垣ができ、ぶらんこは飛ぶような速さで回転したり、上ったり降りたりする。腕前のある、大胆な若者が、娘さんたちを引き付けることになる。こうした喜ばしい場面がずっと祝日の最後の日の午後まで続く。この時、各家の男主人は小さなふるいを使って自家製の酒と肉のごちそうをたずさえて磨秋場にやってくる。人々は磨秋の周囲に輪をつくって座り、互いにお酒をすすめあい、吉祥と豊作を祈る。夕方、どの家も9切れのたいまつの木をくくってつくったものに火をともして、部屋の中の凶悪な邪気を追い払う儀式をおこなう。それから村はずれの丘の上に集まって火を燃やし、幸福と安寧を祈る。
太陽神を祭る
太陽神を祭ることは立夏の日に行われ、ラフ族の人たちはこれは一年中で太陽が最も光り輝いている日であると言っている。明け方、女性たちはポップコーンの入った竹かごを手にし、村の中心と見られている柱を囲んで踊りながら、それを撒き、神霊に献上し、豊年であることを祈る。踊り終わってから、男の人たちはどらや太鼓を打ち鳴らし、長い刀を手にして、列をつくって山の斜面へと行進する。まず太陽神の廟の下の御霊屋の中で線香を立て、先祖を祭る。人々は歌いながら、ポップコーンを撒く。太陽がしずんで、ポップコーンがすべて撒き終われば、儀式が終わる。
木の太鼓引き祭り
ワ族の暦の「格瑞月」(西暦12月にあたる)は、以前はワ族の村全体が太鼓を引く行事を行う季節であった。祝日の前日、部落長と「マバ」(祭儀の司会者)は暗夜に、事前に選んだ高い紅毛樹の下に駆けつけ、祭儀を行い、「マバ」は斧を数回振るって、それからほかの人たちがその夜、徹夜で木を切り倒し、石を三つ切り株の上に置いた。これは木の中にひそむ化け物に木を買い取るお金を払うことを意味するものである。そのあと木の太鼓に必要なサイズに合わせて木の幹を切断し、太鼓の耳の部分をトウのつるできつく締める。翌日の朝、村じゅうの男女老若が盛装姿で、山に登って太鼓を引く。マバは右手に木の枝をかかげ、「木の太鼓を引く歌」音頭をとって歌い、みんなの動作がかみ合うように指揮する。人々は木の太鼓が通った地面にお酒を撒き散らし、太鼓を引く男の人は太鼓を引きながら踊ったり歌ったりして、他の人は声を張り上げて声援するかご飯やお酒をさし上げる。
水かけ祭り
水かけ祭りはインドをルーツとするものである。かつてバラモン教の宗教儀式の一種であった。その後、仏教の中に取り入れられ、ミャンマーを通じて雲南省のタイ族地区に伝わった。水かけ祭りはタイ族の新年の祝賀行事で、普通は新暦の4月13日から4月15日までの間に行われる。その時、人々は仏教のお寺に行って、浴仏式を行い、それからお互いに水をかけあい、飛び散る水しぶきで誠意をこめた祝福の気持を表す。水かけ祭りのもう一つの人目を引く行事は竜舟漕ぎ、象足太鼓踊り、クジャク踊りなどがある。
送竜祭
送竜祭はシーサンパンナ自治州大勐竜地区のタイ族特有の祝日である。繁栄する時代に、農作物の豊作となり、生活が豊かになった時に送竜祭を催すことになる。
いわゆる「竜を送る」とは、供え物を「竜の神に贈る」という意味で、竜神様のお世話になって、よい暮らしを送ることができ、竜神様に感謝の気持ちを表わすことである。
送竜祭の日は、普通西暦の1月から旧正月までの間に定められる。おいしい食べ物を贈ったり、衣服や身の回りの品を送ったりする家もある。裕福な家は金銀のアクセサリー、お金、毛布も贈る。誰でも参加することができる。その村の人でないものも歓迎され、特別なタブーはない。さまざまな品物がお寺に贈られてから、お寺の関係者は腕の立つ工匠に「竜宮」をつくらせ、読経や祭儀を行ってから、各家庭から贈られた品物を「竜宮」の上に置く。お祭りに参加するすべての人たちがどらや太鼓を打ち鳴らして「竜宮」を勐竜河のほとりまで担いでいく。再度儀式を行ってから、「竜宮」を竹のいかだの上に置き、いかだはお祈りと読経の声の中で流れていく。それを竜の神にさしあげたわけである。
「チャイナネット」2002/1/8
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