このほど開かれた「中国古蜀文明シンポジウム」において、四川省巴蜀文化研究センターの徐学書秘書長は、三星堆と金沙遺跡の発見と研究により、すでに古代歴史文献や伝説にある数多くのナゾを解いたことを明らかにした。徐氏の発言の要旨は次の通り。
三星堆と金沙遺跡の考古学発見と東南アジアの青銅時代の考古学発見との間に、緊密な文化的関連性が確認された。これは、古代の蜀国の住民が雲南に移ったことや、蜀国の王子が軍隊を率いて南下して征伐し、越南の北部の高原で開国し、王国が滅びたあと東南アジアの島々へ亡命したことなど、古代文献に記載されている歴史を裏付けているものである。
三星堆と金沙遺跡及び周辺の関連考古学発見から、古代の蜀の人々が古蜀王国を開国し、数回にわたって雲貴高原、青海・チベット高原、長江三峡地域、越南の北部及び東南アジアの島々へ移り、南アジア大陸と貿易を展開し、古蜀文明の中心地域で「成都都市文明」を形成したことを伺い知ることができる。
古蜀文化の中の「巴蜀図語」などのナゾはまだ解明されていないとはいえ、「古蜀文化圏」における文化の伝播現象、古蜀の民族と中国の南西部及び東南アジアの民族の関係、蜀文化の伝承と発展などのナゾは逐次解かれている。これは、古蜀文化の研究の促進にとって重大な意義をもっている。
「チャイナネット」2007年12月24日 |