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重陽節の由来
旧暦9月9日(今年は10月11日)は、重陽節だ。古人は9を「陽数」(陽の数字=奇数)として、陽の重なる9月9日のことを「重陽」と呼んだ。空が高く澄みわたり、すがすがしい季節のころだ。人々は連れだって山登りをしたり、菊を愛でたり、「重陽ガオ」という餅を食べたりして、秋のピクニックやスポーツに適したこの日を楽しく過ごすのである。重陽節の由来についての歴史上の伝説がある。後漢(25~220年)のころ、桓景という人が、ふるさとを離れて、道士の費長房に武芸を習っていた…
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重陽節の慣わし
登山
重陽節の風習は、主に登高、茱萸を挿す、菊花酒を飲む、菊を賞でるなどである。唐の時代に、重陽節に高い所に登り、菊を賞で、茱萸を挿す風習は、ひじょうに普遍的であった。友人たちが集まって歓談し、飲酒して詩を詠じるのはすでにしきたりとなっていて、皇帝も自らこの祭日の行事に参加した。唐の中宗の李顕は、先に立って高い所に登り、酒を飲み、客を宴して詩をつくった。詩聖と称される杜甫は、病をおしても高い所に登った。唐の詩人孟浩然、王維なども重陽の美しい趣のある詩を残している…
重陽節の飲食
重陽節に菊花酒を飲むという慣わしは、遅くとも晋代には広まっていた。その醸造のプロセスとは、満開の菊の花を、葉や茎のついたままモチキビとともに醸造し、じっくり寝かせる――というもの。翌年の重陽節になれば、飲むことができるという。菊の花や葉、茎には、いずれも病を取り除き、健康な体にする効能がある。そのため、この菊花酒も寿命をのばす「長命酒」であると見なされている。
民間には今でも、重陽節に菊花酒を造るという習慣がある。中国のことわざにも「9月9日これ重陽、菊花にて酒を造りて、満缸(甕)香る」とある…
重陽節には重陽ガオを食べる。漢の時代にはすでにモチキビで餅を作り、祖先や神様を祭っていた。当時は「餌」と呼ばれていたようだ。晋代になると、人々は重陽節に餌を食べて厄を除けただけでなく、餌を「ガオ」という名に呼びかえた。それは第一に、「ガオ」と「高」の発音が同じで、「歩歩高昇」(しだいに昇進する)という意味を喩えているからだ。第二に、町なかや平原に暮らして、山や寺院、楼閣のような登るところのない人たちは、重陽ガオを食べて「高みに登る」ことに代えたのである …
敬老の新風
ここ数年、中国は高齢化社会の仲間入りをした。経済が発展し、社会が進歩するにつれて、各地方では重陽節を「老人節」、または「敬老節」として重視しはじめている。この祝日には、政府機関や団体、コミュニティー、企業などがお年寄りを慰問したり、お年寄りの山登りや宴会、観光旅行などを組織したり、文化娯楽スポーツの活動や菊の展覧会を開いたりしている…
重陽節の詩
九月九日、山東の兄弟を憶う
独在異郷為異客 独り異郷に在って異客と為り
毎逢佳節倍思親 毎も佳節に逢えば倍して親を思う
遥知兄弟登高所 遥かに知る兄弟の高きに登る処
遍挿茱萸少一人 遍く茱萸を挿せど一人少なきを
「チャイナネット」2008年10月7日