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社会科学院が「曹操の墓」の真偽について記者会見
発信時間: 2010-01-14 | チャイナネット

2009年度中国社会科学院考古研究所の公共考古学フォーラムが北京で14日に開催され、論争中の「曹操の墓」の安陽西高穴大墓を発掘した担当者や、国家クラスの考古機関の一線の専門家たちが、墓の形や年代、出土した人骨、文化財などについて分析し、記者たちの質問に答えた。

発掘作業の担当者である潘偉斌氏は「墓室の上には盛り土がなく、碑があった形跡もない。出土した陶器はすべて素面陶だった」と、墓の主が曹操であることを示す証拠をあげ、以下のように述べた。

「この墓はレンガ造りの多墓室であり、主墓室は四角い尖った天井で、洛陽で発見された曹魏正始8年の墓の天井とよく似ている。同じ時期の他の墓に比べ、今回、発見された墓は、規模も大きくて勇壮、構造も複雑で、埋葬部分が深い。また墓道は40メートル、出口の広さは10メートルあり、最も深いところは15メートルだ。これは王や候のクラスの墓であることを証明している」

「この墓は『終制』の規定と一致し、墓の位置は近くにある固岸北朝の墓より10メートルも高く、「因高為基」(高いところに墓を構える)という要求を満たしている。それに墓室の上には盛り土がなく、碑があった形跡もない」

「鄴城の古城の西にある西門豹祠は、見つかっている西門豹祠の中では最も年代が古く、建造年代は趙建武年間、つまり335年から348年の間である」

「1998年4月に西高穴村の徐玉超さんが、後趙建武11年の墓誌銘を掘り出した。曹操は国の号を魏とし、同じ年の10月に息子の曹丕が漢を覆して魏朝を建てると、曹操は「武皇帝」と称された。こういった経緯は非常にはっきりしている」

「出土した『魏武王常所用挌虎大戟』は、墓の主の身分を証明できる直接の証拠だ。また人骨の年齢は60歳前後で、曹操が亡くなった時の年齢と一致する」

「この墓の規模は大きいが、出土した陶器はすべて素面陶で、曹操の遺言と合う。以上の墓の規模や形、出土した文化財、文献の墓の位置に関する記載などをまとめ、専門家たちはこの墓の主人を曹操だと初歩的に確定した」

 

「チャイナネット」 2010年1月14日

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