旧暦12月8日(今年は1月19日)は、中国で「臘八節(ろうはちせつ)」と呼ばれる仏教と儒教のお祝いの日。「臘」の本来の意味は「願い求める」で、その年の五穀豊穣を感謝し、さまざまな物を神々に供える。崇拝の対象となるのは、穀物を最初に植える「嗇神」(しょくしん)や穀物を主管する「司嗇」など。漢(紀元前206-西暦220年)の時代は冬至から数えて3番目の「戊日」を「臘日」としていたが、南北朝(439-589年)の時代に12月8日になり、正式に「臘八節」として祝われるようになった。北京日報が報じた。
中国では「臘八節」に、「臘八粥」と呼ばれる甘い粥を食べる習慣が1千年以上続いている。清(1644-1911年)の時代、北京最大のチベット仏教の寺・雍和宮(ようわきゅう)の「臘八粥」が名を馳せた。歴史書の記載によると、旧暦12月1-5日、清宮廷の内務府は特別に司官を派遣して、粥の材料としてバターやアワ、もち米、干しブドウなどを雍和宮に運ばせた。そして、6日に粥を作り始め、8日早朝に完成させられるよう、人を派遣して監督した。「臘八粥」作り専用の鍋の大きさは直径2メートル、深さ1.5メートルもあり、銅8トンで作られていた。雍和宮で作られる粥に、国庫に貯蔵されていた大量の米が使われたという。初めに完成した粥はまず仏に捧げ、2番目に完成した粥を宮廷に、3番目は王や貴族とその家族に収めた。そして、4番目を学問・武道の百官に、5番目を寺の僧侶に、6番目と1-5番目の残りを庶民にそれぞれ提供した。雍和宮は今でも、旧暦の12月8日になると、粥を市民に振舞っている。一方、銅の大鍋は、粥作りの「任務」を解かれ、観光客が観賞できるよう天王殿庭院の鼓楼の下に静かに置かれている。
伝統的な「臘八粥」に使われる材料は、種類が多いほどおいしく出来上がる。材料には通常、もち米を筆頭に、アズキやリョクトウ、インゲンマメ、赤ナツメ、落花生、栗などが使われる。使った材料が去年より多いというなら、ますます良い暮らしを送っているということ。「臘八節」当日、中国の一般家庭では「臘八粥」を作り、家族と共に食べるだけでなく、隣人や友人にも差し入れをする。