「顔文字の表情が乏しすぎて、あまりにもつまらない」というユーザーからの批判に対応するため、米アップル社はこのほど、同社スマホiPhoneなどで使用できる約300種類の絵文字を試行版として公開した。顔文字の肌の色は、6種類の中から選ぶことができて、国旗の数は42に増えた。家族の構成員も、従来の大人1人と子供1人だけではなくなった。このような心づくしの設計に対して、好評よりもブーイングの方が多かったことを、誰が予想しただろうか。アジア人は、「黄色人種の肌の色が黄色すぎる」、コロンビア人は、「なぜコロンビアの国旗がないのか」とツッコミを入れ、図らずもアップル社は苦渋を味わっている。解放日報が伝えた。
アップルが立たされた苦境は、技術面・社会面いずれの角度から見ても、技術を過度に駆使した結果といえよう。それは、コンピュータは、合理的な予備メモリと電源を備える必要があるのと同じことだ。だが、この予備メモリには、エントロピーが存在しており、メモリ容量が多ければ多いほど良いというものではない。永遠に運用する機会のないメモリは無用の長物であり、資源の浪費でもある。
1ページだけだった絵文字が、数十ページに増え、笑顔を入力するのに2回の選択が必要になった。選択肢の増加は、もとはと言えば需要を満たすためだった。ところが、厄介なことに、そのような選択肢が増えれば増えるほど、システムの全体効率が下がり、ついには需要に対応できなくなる。
私たちの社会において、このような「過剰」は、アップル社のケースだけではない。最も典型的な「余剰」は、スマート公共交通機関案内システム、飲料容器回収機、公衆電話ボックス、コミュニティ情報ステーションなどに散在している。市民に便宜を図ることを目的として設けられたそれらの設備の多くは、今では「自然発生・自然消滅」状態にある。これらの施設はいずれも、極めて念入りに設計されているのに、どうして実際には活用されなかったのだろうか?「普及不足」「使いづらい」「メンテナンスが不十分」といった原因以外に、「利用者のことを本当に考えて作られたものではなかった」ことが、根本的な原因だった。
アップルの苦渋は、「需要を満たすためには、数量的な問題を解決するだけでは不十分であり、考え方や観念の転換が必要だ。一方通行から双方のインタラクティブな参与へのシフトが、解決に至る鍵を握っている」ことを示している。アップルと同社が設計した300種類の顔文字は、さまざまな機能を使える好意的なユーザーがカスタマイズした絵文字には、とうてい及ばない。社会における管理も同様で、政府が全てを背負い込むより、一部の具体的な問題をコミュニティや住民団体の自治に任せた方が上手く行く。目まぐるしい変化を経験している基底層の現実社会で、住民が主体的な役割を存分に発揮することで初めて、個々の需要を満たすことが可能となり、コミュニティもそれぞれの特性を活かし、より多様性に富んだ役割を発揮することができる。(編集KM)
「人民網日本語版」2015年3月1日