この風俗の誕生は、古代の夜禁制度と関連がある。中国は周の時代から、庶民の夜間通行と集会を禁止する規定があった。このようなきびしい規則は正月の楽しい祭日の雰囲気にそぐわず、庶民の楽しい気分を抑圧し、そこなった。支配者は矛盾を緩和するためと、自分たちの享楽のために、太平をつくろって、祭日の期間にこの規則を少しゆるめたのである。『史記』―「楽書」によると、漢代に正月十五日夜、天帝を祭る儀式は夜通し行われ、初めて夜間も自由に外出することができるようになった。後世の夜間の灯篭見物はおそらくこれからはじまったと思われる。元宵に灯篭を飾ることは、南北朝のころすでに習わしとなり、南朝の梁・簡文帝は、かつて『列灯賦』を著わし、元宵に灯篭を飾る様子を次のように描写した。油灯や漆灯があり、或いは線香を焚き、ろうそくを点じ、輝く灯火と月光が水面に映っていると。人々は灯篭遊びを楽しむほか、曲技や芝居などを観賞することもできた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年2月19日