寇宇龍
「北京晨報」によると、オープン前の上海ディズニーランドが、メーデーの期間、一部の公共施設を試験公開した。人の流れやサービスの質を確かめるための試験公開だったが、予想外にも中国の公共的素養を試す試験会場となってしまった。花を摘む者や塀によじ登る者だけでなく、街灯の柱に落書きをする者もいた。その写真がネットで伝わると、ネットユーザーから「みっともない!」との声が上がった。
影響力と注目度の高さから、上海ディズニーランドの「試験」は象徴性を帯びることになった。言うまでもなく、上海ディズニーランドは国際的娯楽施設だ。だからここで発生する非文明的行為はより目立つ。そのため人々の関心を集め、議論が沸き起こった。中国で開催される様々な国際的催事では、我々中国人は比較的素養の高い振る舞いをしている。国際標準のディズニーランドにおいても、遊ぶ際には良好な振る舞いをするべきだと――。
実際、人々と交流する際に高い素養を保持することは、他人に対する尊重にもなるし、自分の魅力を伝えるものにもなる。しかし厳かな場所だからとか、人々の注目が集まっているからといった理由で素行に注意するのならば、それは「良好な素養を持った状態」とはいえない。文明的な素養とは、日常生活の素行の蓄積によって培われる。つまり日常の公共生活で現れる態度で決まる。実のところ、来場者の多くがディズニーランドの“国際性”に威圧感を感じていた。彼らの目には、ディズニーランドが他の娯楽施設と本質的に全く異なるものに映っていたはずである。では、このような場所がもたらす威圧感や厳粛性によって、一時的に素養が高くなったのだろうか。日常生活で展開される非文明的態度が、ディズニーランドでも自然と演じられることになった。
素養形成の最も重要な要素は自覚である。ここでいう自覚は、自己の素養を向上させ続けることから生まれるだけでなく、外部環境である規則や罰則などからも生まれる。公共の場所で非文明的行為をすることは、その場所にいる全ての人々を尊重しない行為である。生活水準が向上するに従い、人々はより文明的な公共生活に参与できるようになるはずだった。しかし多くの場面で、精神的素養の向上が、物質社会の膨張速度に追いつけていない。すでに多くの人々が、物欲に掻き立てられて美徳の追求を放棄することをやめている。しかし内心の焦燥感が好き勝手な行為へと駆り立てている。
上海ディズニーランドは、どのような「文明の試験場」なのか。筆者の見るところ、他の公共の場と大きな区別があるわけではない。真に試されているのは、公共生活で一貫して公共道徳を守れるのかどうかである。そう考えると、生活の全ての場が文明の試験場だといえるのではないか。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年5月7日