新中国の考古の成果と言えば、良渚遺跡の大発見がその中でひときわ美しく輝く宝石と言える。
杭州の市街地から北西方向に車で約1時間移動すると、杭州市余杭区の良渚に到着する。「良渚」とは「美しい水の洲」という意味だ。5000年以上前、ここには大規模な都市があり、燦然たる文明を育んだ。中国社会科学院考古研究所の夏鼐所長は1959年、「良渚文化」という名称を初めて用いた。
今年7月6日の第43回世界遺産委員会において、中国が申請していた良渚古城遺跡が世界文化遺産に登録された。
世界遺産委員会は「同遺跡は5000年以上前の中国の偉大なる紀元前稲作文明の成果を代表する、傑出した都市文明の代表格だ」と評価した。
中国の新石器時代後期、長江下流の太湖の流域には稲作農業を経済支柱とした、社会の分化が顕著で統一的な信仰を持つ地域性早期国家が存在した。
今から4300−5300年前の良渚古城遺跡は権力と信仰の中心で、5000年以上の中華文明を裏付ける重要な実物の根拠を提供した。
2007年に見つかった良渚古城の城は3重に分かれ、敷地面積は630ヘクタール以上。「中華第一城」と呼ばれる。
2015年に発見された良渚古城外周水利プロジェクトは、水面13平方キロをせき止めることができ、容量は約4600万立方メートル。杭州市の西湖の1.5倍・4倍に相当する。洪水防止、灌漑、運輸などの各種機能を持つ。中国で最も古い大型水利プロジェクト遺跡だ。
推算によると、良渚古城遺跡と外周水利プロジェクトに必要な土石方は計1005万立方メートル。エジプトの「ギザのピラミッド」は504万立方メートル。良渚の早期、人々は短期間内に917万立方メートルの土石方を積み上げる必要があった。1万人が1年無休で、3人で1日1立方メートルの量をこなすとしても、7年半の時間が必要だ。これには大きな社会動員能力が不可欠だ。
出土した多くの美しい玉器は、中国の玉文化の紀元前の最高峰であり、階層の分化を見守った。
地下に埋蔵された大量の炭化稲は、稲作農業の興隆を示している。手工業遺物と共に、社会の複雑な分業を反映している。
国家文物局の劉玉珠局長は「良渚古城遺跡の登録成功は、遺跡が代表する5000年以上の中華文明が世界的に広く認められたことを意味し、重大な意義がある」と述べた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2019年8月24日