阿倍仲麻呂記念碑は唐の柱ににせてつくった漢白玉製の記念碑で、高さ3.6メートル、市内の興慶宮公園の東南隅にあり、日本の遣唐使・阿倍仲麻呂を記念して建てたものである。
阿倍仲麻呂は日本の奈良に生まれ、716年、19歳のとき、遣唐留学生として選ばれた。2年目に遣唐使・多治比県守に随って唐に入り、太学で『周礼』『礼記』『毛詩』『春秋左氏伝』などを学習し、優秀な成績で卒業した。彼は、博学多識で、積極的に仕事をするので、玄宗皇帝に可愛がれ、「晁衡」の名を賜り、滞在中は朝廷で仕事をした。753年、帰国する途中、台風に遭い、ベトナムに漂着、再び長安に戻り、ひきつづき唐の朝廷で重要な職務につき、長安で没した。
阿倍仲麻呂は、中日文化交流の使者であり、中日友好のために多大の貢献をした。彼は詩が得意で、その作品は中日両国で広く知られている。唐代の大詩人・李白、王維、儲光羲たちとも深い付き合いをし、お互いに詩を贈り合っていた。阿倍仲麻呂らが出発したあと、彼らが台風に遭ったことを知った人たちは、阿倍仲麻呂も遭難したものと思い、非常に残念に思って、李白は有名な『哭晁卿詩』をつくり、兄弟のように親しかった友情をうたっている。
西安と奈良は、昔はそれぞれの国の首都だったところから、1974年、友好都市となり、奈良市長の提案で、西安と奈良に阿倍仲麻呂記念碑が建立された。この記念碑の建立は、阿倍仲麻呂から始まった西安と奈良両市の人民の友好関係が永遠に続くことを希望したものといえよう。
「中国網日本語版」(チャイナネット)