避けては通れない中日両国間の問題

避けては通れない中日両国間の問題。

タグ: 光華寮,化学兵器,戦争賠償,日米安保協力,釣魚島,)台湾,歴史

発信時間: 2012-04-01 11:20:08 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

(三)釣魚島問題

釣魚諸島は中国台湾省基隆市北東沖約92カイリの東中国海海域にあり、台湾省の付属島であり、主に釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼、南小島、北小島及び岩礁からなっている。釣魚諸島は古くから中国の領土であり、台湾と同じく中国領土の不可分の一部である。中国は釣魚諸島及びその近海に対し、争う余地のない主権を保有している。中国のこの立場は十分な歴史的、法律的根拠がある。

明朝初期に、釣魚諸島が中国の領土であることは既に明らかになっており、明朝と清朝はいずれも釣魚諸島を中国の海上防衛管轄の範囲に組み入れ、釣魚諸島は“無主の地”ではなかった。1895年、日本は日清戦争での清朝の敗北を見越して、『下関条約』締結の三カ月前にこれらの島嶼を掠め取り、沖縄県の管轄下に置いた。1943年12月に中国、アメリカ、イギリスが発表した『カイロ宣言』には、日本は中国から掠め取った東北、台湾、澎湖列島などを含む領土を中国に返還しなければならないと明記されている。1945年の『ポツダム宣言』には、「カイロ宣言の条件は必ず実施に付されるものとする」と規定されている。1945年8月、日本は「ポツダム宣言”を受け入れ、無条件降伏した。これは日本が台湾とその付属の釣魚諸島を中国に返還することを意味する。

しかし、1951年9月8日、日本はアメリカと一方的に『サンフランシスコ講和条約』を締結し、釣魚諸島を沖縄と一緒にアメリカの委託管理の下に置いた。これに対し、周恩来総理兼外交部長は中国政府を代表し、『サンフランシスコ講和条約』は中国を抜きにした対日単独講和であり、全面的な講和条約でないばかりか、全く真の講和条約ではなく、中国政府はこれを非合法で無効であることとし、絶対に承認することはできないと厳かに声明を発表した。

1971年6月17日、日米が「沖縄返還協定」を結び、これらの島嶼をも“返還区域”に入れた。これに対し、中国外交部は1971年12月30日に声明を発表し、米日両国政府が公然と我が釣魚諸島を「返還区域」に入れたことを強く非難し、「これは中国の領土と主権に対するおおっぴらな侵害であり、中国人民は絶対に容認できない。米日両国が沖縄「返還」協定の中に我が国の釣魚島などの島嶼を「返還区域」に入れたことは全く非合法であり、中華人民共和国の釣魚島などの島嶼に対する領有権をいささかも変えることはできない」と厳正に指摘した。その後、アメリカ国務省報道官は、「沖縄の施政権返還は尖閣列島(即ち我が釣魚島)の領有権に如何なる影響をも及ぼすものではない」と表明した。

日本側が釣魚島問題で異なる主張を持っていることを考慮して、中国政府は中日関係を発展させるため、我が国の一貫した立場を堅持する前提のもとで、この問題の解決を後世に残し、一方的な行動を取らず、この問題で両国関係の大局を妨げることを回避するよう日本側と諒解済みである。

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