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新世代の学者による東アジア人文・知日文叢 の意義
発信時間: 2008-03-06 | チャイナネット

日本の中国研究と中国の日本研究

深い理解から出発する研究は、的確かつ深く掘り下げたものとなる。研究の究極の境地は、お互いの文化間の充実、融合である。けれどまだ私たちは発展の道を歩んでいる途中であり、研究の目的はまず自国の利益を図ることにある。

周知のように、日本は古代から当時先進的であった中国の文化を漢籍から吸収し、留学生を派遣するなどして、中国文化を学ぶことに大いに力を入れてきた。藤原佐世が『日本国見在書目録』に記録した漢籍は、1579部、1万6790巻にも及んでいる。これが編纂されたのはなんと九世紀、それからさらに千年余りにわたって、日本人は一貫して中国から学び続け、努力を積み重ねることで、日本の中国研究を世界における漢学研究の重鎮とならしめた。政治制度から文化風俗、語言文学、物産、ひいては遊びまで、数多くの中国に関する研究書は、日本人が中国を理解するためのさまざまなルートを広げていった事を物語っている。

『孫子』に曰く、「彼を知り己を知れば、百戦して 殆からず」。この島国がかなりの期間、大陸とのやり取りにおいて常に優位を制していたことは、明治維新後、日本人が迅速に謙遜な態度で西洋に学んだことだけでなく、中国に対する十分な理解や研究とも深く関係があるはずだ。

その一方で、中国人の日本に対する理解や研究は、現在に至るまで満足のいくレベルには達していないとしか言いようのないものに留まっている。多くの重要な分野にまだ広大な空白が残され、誤読や表面的に過ぎない解釈、自分に都合のよい立場で日本を解読、あるいは誤読した上での一方的な間違った分析をするといったような問題が、依然として少なからず存在している。

1900年前後に日本留学ブームという現象が起こったものの、中国人の日本留学の重点は、隣国としての日本を重視し、研究することに置かれたものではなかった。張之洞(1837~1909年)が「遊学之国、西洋ハ東洋ニ如カズ。一ニ近シハ費ヲ省キ、多ク遣ワスヲ可トス。一ニ華ヨリ近キ、考察スルニ易シ。一ニ東文ハ中文ニ近キ、通暁スルニ易シ。一ニ西書ハ甚ダ繁ナリ、凡ソ西学ノ切ラザルヲ要スルハ、東人スデニ節ヲ削リテ之ヲ酌ミテ改ムル。中東ノ情勢風俗ハ相近キ、倣ヒ行ウモ易シ。事半バニシテ功倍ナリ」と 『勧学篇』で述べたような理由によるものであろう。

当時の中国は、日本を通してできるだけ多く、速く、うまく、無駄を省いて西洋の知識を学ぶことを求めた。日本を自身の真面目な研究対象として考えた人は、ごくわずかにすぎなかった。

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