教育者・劉育新氏を偲んで、吉林人民出版社が『劉育新記念文集』を出版する。この文集は、劉育新氏の教育事業への貢献と同氏の高尚な人柄を讃えるとともに、一家三代にわたる中日の絆にも言及している。
神戸学院大学校長倉田氏(左三)と会見する劉育新氏(左四)
劉育新氏は1915年、黒龍江省ハルビン市に生まれ、1936年、ハルビン留日学生教育所でずば抜けた成績を収め奨学金を獲得、日本の早稲田大学で政治経済を専攻した。彼は同大学入学後、苦労しつつ研さんを積み、競争率の高い文化奨学金を獲得した。1946年以降は中国で教べんをとるとともに中国共産党が指導する地下革命闘争に参加。解放後は、吉林省立高級中学校校長、長春市教育局局長、吉林大学外国語学部主任、吉林省人民政府教育顧問などを歴任するとともに、長春市人民代表大会代表に何度も選ばれた。日本留学によって得たものを教育事業に生かした彼の教育理念は、社会から高く評価され、吉林省の各界から高潔な人格と高い名声を認められた教育者であった。
劉育新氏は日本への留学経験があったため、文革中はつらい目にあったが、同氏はかえって中日友好にこだわり続け、中日関係の将来に自信を持っていた。彼は、中日関係の正常化が生易しいことではないことをますます強く感じ、中日間の長期的友好のためには子々孫々にわたってバトンタッチしていく必要があると考え、常に後に続く世代が中日友好のために橋渡しの役割を発揮できるよう励ましてきた。
中日関係が正常化される前の1964年、早くも彼は次男の劉光宇氏が北京大学東語学部の日本語専攻課程を受験するよう励ました。劉光宇氏は北京大学卒業後、吉林省外事弁公室や吉林大学日本研究所、東北師範大学外国語学部で中日交流と日本文学の研究および日本語教育に携わるとともに、日本映画『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』を翻訳し、日本の著名な映画を中国の銀幕の上に持ち込んだ。さらに、1987年および1996年には、それぞれ客員研究員と客員教授の肩書きで関西学院大学において日本近現代文学研究に従事し、数多くの日本の文学作品を翻訳し、現在は中国作家協会の会員となっている。
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