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現地在住の日本人女性が語る四川大地震 |
発信時間: 2008-05-22 | チャイナネット |
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記者 ホテルには泊まれましたか? 坂本 私は個人旅行なので、簡単なホテルの中に平気で寝ましたが、団体客の皆さんはだいたい全員、外にいて、自分たちの乗ってきた自家用車や、バスの中でシートや布団をもってきて寝ていました。 記者 道路で九寨溝に向かう道は、今回の震源地のすぐそばを通過するようですが、前日の様子は? 坂本 まったく異常はなかったですね。 九寨溝に向かう道のりは、右側はミン江が流れ、左側は急峻な山で、それに岩山がずっと続いていましてね。片側一車線の道に観光バスや長距離トラックなどすれ違い、交通量が非常に多いところです。あの日もたいへんな渋滞で、私の乗ったバスはブン川を出たところで、接触事故があったので、長く停留していました。いつもなら8時間の道のりですが、その日は夜中12時にやっと到着しました。
記者 九寨溝のその後の様子はどうでしたか。 坂本 観光客が来なくなったので、ガイドさんたちは仕事がなくなり、みな、ボランティアに出て行きました。普通は通行してはいけない道を通って、落石でなくなった方も出たと聞いております。 記者 成都に戻ってから、街や人々の様子はどうですか。 坂本 周囲の様子はまったく変わっていません。ただ、土日は学校に用があって行ったのですが、中日会館の周辺の空き地に自家用車を乗り上げて、テントを張ったり、パラソルを広げたり、いすを持ち出したりして、そこで生活する方たちがかなりいます。聞けば、近くのマンションに住んでいる住民らが不安に思って、こうやって過ごしているそうです。あと、よそから避難して来ている人もいると聞いています。 成都の建物は一部、ひび割れが入ったと聞いていますが、私のいつも通っている道路では、見た目では、建物の損害もなく、いつもと変わらない風景です。 それより、問題は人々の心の中かもしれません。夕べ(17日)、江油で大きな地震があり、ここでもかなり揺れていたようですが、近くの新しいマンションの14階に住んでいる方が、一目散に外に駆け出し、タクシーを必死に捜していたという話を聞きました。 やはり、地震が始まった日から、建物が倒壊した状況を毎日毎日テレビで見たり、人々の会話に出ていますので、ちょっとくらいの余震に対しても、心理的なある種のパニック状態になっているようです。私も数年前、広島で大きな地震があったとき、同じ動きでしたので、それは人間共通の心理ですから。 |
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