于 強
吉川典夫先生は私にとって忘れることのできない尊敬する友人であり、かつて神奈川県小田原市の相洋高校の校長をなさっていた方です。吉川先生が日中友好というバトンをリレーするために果たされた努力と貢献は忘れがたいものであるとともに歴史に書き留めておくべきものです。
1989年のある夏の日ことでした。当時、安徽省馬鞍山市の外事弁公室主任であった私は、江蘇省海外旅游公司の張宝平処長からの電話を受けました。処長は頼み込むような口調で「日本のグループが馬鞍山に観光に行く」と言われ、私は、ご安心くださいと答えました。
7月25日、吉川典夫先生が観光ツアーで馬鞍山へ来られました。彼は背の高いほうで、丸い顔にメガネをかけ、見るからに優しそうで、親しみやすく温厚な感じの方でした。お会いすると、吉川先生は単刀直入に「今回の中国旅行は日中の世代にわたる友好のため、後継者を育てるための訪問です」と言われました。
付き添っていた張宝平処長の話では、彼らの相洋高校は小田原市にあり、日中友好のために中国語学習クラスを開設したそうです。学校周辺の多くの日本人からの申し込みがあり、クラスは非常に活況を呈しているとのことでした。その後、中国語学習だけでなく中国を紹介し、中国に対する気持ちを培うためのクラスづくりをしていったそうです。このクラスに参加した日本人の多くは中国へ観光や視察に行き、日中友好の一翼を担う人々になりました。「今回の私たちの訪中は、第1に視野を広げ、見識を深めてよりよいクラス運営の一助にすること、第2に先陣を切って訪中し、さらに多くの日本人が思い切って中国へ来るよう自分の感じたことを伝えること」と話す吉川先生の中国に対する友好的姿勢に、私は初めてお会いしたときから感動していました。
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