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関係者が語る中日平和友好条約締結の舞台裏 |
発信時間: 2008-10-20 | チャイナネット |
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交渉は肝心な時点に入り、福田首相は園田外相の訪中を決定した。 8月6日夜、徐敦信氏は事務室で残業していた。20時45分に、日本国駐中国大使館の堂之脇公使が徐敦信氏に電話をかけ、園田外相が中国を訪れ、両国外相間の会談を行うことを願うと語った。 これは1つの積極的なシグナルであり、徐敦信氏は直ちに責任者の認可のもとで、直接電話で鄧小平氏の弁公室に報告した。電話に出た秘書もそれが重要な情報であることを意識し、電話を切らないで、直ちに口頭で鄧小平氏に報告し、すぐ回答を得た――「訪中を歓迎する」。 その夜の9時15分、徐敦信氏は堂之脇公使に電話をかけ、この回答を公使に知らせた。相手側は「こんなに速いのですか!」と喜ぶとともに驚いた。
園田外相の訪中――交渉が成功しなければ「切腹する」 園田外相は北京に到着した後、黄華外交部長と2ラウンドの会談を行い、8月9日に条約草案について合意に達した。 聞くところによると、園田外相が北京に来る時、日本の右翼は外相を殺すとおどしたが、外相は少しも恐れる様子はなく、そしてもし今度の交渉が成功しなければ「切腹し」、決して生きて日本に帰ることはないと公に表明した。 1978年8月12日、『中日平和友好条約』が北京の人民大会堂で調印された。中国の全国人民代表大会と日本国国会でそれぞれ条約の審議を可決した後、ついに鄧小平氏と福田赳夫氏が共に条約に調印する歴史的1幕となった。 「チャイナネット」2008年10月20日 |
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