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郭沫若とゆかりの地
発信時間: 2009-08-19 | チャイナネット

前海西街18号

什刹海体育運動学校の西側、前海西街と北海公園の静心斎とは、平安大通りを隔てて南北に向かい合っている。前海西街の南端から北へ少し行くと、道の中ほどに目隠しの壁があるところ、そこが前海西街18号で、郭沫若が晩年を送った場所である。

1970年代、前海西街の仮住まいの花園での郭沫若


かつての清の乾隆皇帝腹心の大臣、和の庭園で、その後恭王府の飼葉倉庫になった。大いに栄えていた恭王府も1911年10月10日の辛亥革命の後、衰える一方で、恭王府の最後の主人、恭親王奕訢の一番上の孫である溥偉は、復辟の活動費を集めるため、1921年に屋敷と庭園を抵当に入れ、天主教会からお金を借りた(1937年にこれを輔仁大学に売り、校舎に改造された)。1922年2月末、屋敷の外側の南東部の家屋敷は達仁堂に売られた。それは前海西河沿路3~8号の六つの家屋敷で、敷地面積は14ムー(1ムーは6.667アール)。達仁堂の副社長の楽肇基が表に出てきて、1万6000元の銀貨で買い取った。

1965年、北京市は統一的な規格で街道の名称や番地を改めた。この通りは西河沿から前海西街に、番地は8号から18号に変えられた。

郭沫若は花や木を愛し、自然に親しむ人である。1963年から1978年まで、前海西街18号で過ごした15年間で、この四合院内の花や木はますます生い茂った。主人が世を去った後、故居は全国重点文物の保護対象として完璧に保存され、1988年から一般市民に公開されている。郭沫若と于立群の子どもたちが政府に寄付した1万6000点の文物や資料は、郭沫若記念館の収蔵品となっている。

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