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郭沫若とゆかりの地
発信時間: 2009-08-19 | チャイナネット

郭沫若記念館へ

郭沫若の旧邸宅を訪ねると、心が安らぐ。レンギョウや、海棠、牡丹、フジ、タマノカンザシなど、それぞれの花が庭園の四季を彩る。鳥が木々の間を飛び、草むらでついばむ。芝生には郭沫若生前のコレクションであった石洗(毛筆の墨を濯ぐ器)と一対の石獅子と二つの古時計が庭のあちこちに置かれていて、型にはまらない持ち主の風雅な趣が漂っている。

早春には、山坂にうす紫の蕾をつけるショカツサイ(ハナダイコン)が一斉に芽を出す。秋に銀杏の葉が黄色に染まるころはさらに壮観である。郭沫若は銀杏を「中国人文の生命ある記念塔」と例えた。今庭園に10本の銀杏が植えられており、晩秋になると庭園全体が黄金色に染まる。その中でも一番人の心を魅了するのは、芝生の中の幹にまだら模様のある「母の木」である。それは夫人の于立群が病苦から立ち直るように、郭沫若が祈りをこめて植えたものだという。郭沫若の銅像はこの枝葉が茂る銀杏の木の下に座っている。両手を膝に置き、目は前を見、その悠々自若の姿はまるで木や風と、またやって来る人々と話を交わすかのようである。銅像の作者は司徒兆光であり、1988年6月12日の記念館の開館の日に銅像も落成した。

故居の中にある郭沫若銅像。1988年6月12日の記念館開放日に落成(写真・馮進)

郭沫若故居の中の垂花門(写真・馮進)



垂花門を入ると、郭沫若が生活と仕事をしていた客間、書斎、寝室そして夫人の于立群の書道室があり、四合院の北側は原状のままの陳列室である。真ん中は郭沫若の客間。ソファーは馬蹄形に置かれている。ソファーの後ろには有名な山水画家傅抱石によって描かれた大作「郭沫若、九竜淵に遊ぶ詩情を写す」がある。その巨幅の山水画の下に主人お気に入りの石がいくつか陳列されている。天然の味わいのある孔雀石、拳骨に似た玉石……郭沫若は石を愛する気持ちを詩歌に託した。「私も石を愛する人、愛するのは石の性が堅いからだ。たとえ砥石に遭おうとも、形は円くなるが、内なる角は変わらない」

郭沫若はこの客間で、日本から訪ねてきたたくさんの友人をもてなした。周恩来や文化教育科学の各分野の同僚たちとここで仕事をしたこともある。

客間の東は郭沫若の仕事場と隣接している。本箱は西の壁にずらりと並べられ、その上には『西江月・井岡山』という毛沢東の真跡が架けられている。反対側には毛沢東の詞『沁園春・雪』を写した于立群の隷書掛け軸が中央に掛けられている。南側の窓の下に二つの机が向かい合って置かれており、郭沫若は東側のを愛用した。

机の上の補聴器は郭沫若にとって欠かせない助手であった。彼は16歳の時に腸チフスにかかって聴覚神経にダメージをうけた。南昌蜂起に参加した後、また発疹チフスにかかり、命は取り止めたものの、ほとんど聴覚を失った。しかし、聴覚障害が却って彼を研究と文学創作に専念させた。中日戦争の時彼は自分の体験をもとに青年たちにこう語った。

「この障害を通じて、自分があきらめずに勉強に励み、力を尽くして欠陥を補おうとさえすれば、たとえ欠陥があっても成功を遂げることができる」

建国後、生活が向上してから郭沫若は補聴器を使うようになった。

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