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中日の学者、中日歴史共同研究報告書を語る
発信時間: 2010-02-03 | チャイナネット

 

中日歴史共同研究委員会は1月31日に段階的研究報告書を発表した。両国の学者は3年の歳月をかけて両国政府が主導した古代、近現代の中日関係史に関する第1期研究活動を完成させた。

双方は日本の対中戦争は侵略戦争であることを認め、日本の対中戦争発生の原因や南京大虐殺などの問題に対しそれぞれ研究成果を発表した。1945年以降の戦後史部分は今回の報告書に盛り込んでおらず、第2期研究で着手する方針だ。

 

南京大虐殺などの問題を回避しない

両国関係を悩ませる歴史問題を解決するため、2006年、中日両国はそれぞれ10人の学者を派遣して委員会を設置し、歴史共同研究に着手した。昨年末、委員会は第1期の研究活動を終え、1月に両国学者の論文13篇からなる研究報告を発表すると明らかにした。

報告書は計530ページで、中国側の報告書と日本側の報告書の2冊に分けられている。報告書によると、論文は両国の学者がテーマやキーワードを共同で定めた上で、それぞれ執筆したものだ。

報告書を通して、学者たちが古代史から近現代史までの中日関係について系統的な研究を行ったことが見て取れる。研究テーマは東アジア地域の国際秩序、中日社会の相互認識、日本の大陸への拡張政策および中国国民革命運動、九・一八事件(柳条湖事件)から盧溝橋事件までなどを含む。

中日間のいくつかの敏感な歴史問題について、報告書は回避していない。例えば、南京大虐殺について、双方の学者は論文の中で、南京大虐殺は集団的な虐殺事件であるという判断で一致した。確かな犠牲者の数については討論されなかったが、双方はいずれも極東軍事裁判は20万人以上、南京国防部軍事裁判所は30数万人以上と認定したという2つのデータを引用した。

 

最後段階で盛り込まれた「侵略戦争」

今回の歴史共同研究報告書に対して、中日の学者はいずれも肯定的に評価した。中共中央党史研究室の章百家副主任は「小異を残して大同につく」という言葉で報告書を評価し、双方の学者が最も重要な方面で一致したと認識している。

今回の歴史共同研究では、双方の学者は1931年~1945年に起こった戦争は日本の対中侵略戦争であることで一致し、報告書の中では「日本の中国に対する全面侵略戦争および中国の全面的な抗日戦争」について論述した。

東京大学の石井明名誉教授は、両国の学者がいずれも事実に基づき論文の執筆に努めたと日本メディアに語った。

中国人民大学の李文海元校長は、報告書の中で甲午战争(日清戦争)に言及する時、日本の学者が日本学術界の一般的な観点を引用しただけでなく、中国の学者の観点をも説明し、日本が軍拡の道を歩んだことは偶然的な現象ではないと認識していることに注目した。

共通認識達成の裏側で、多くの交流が行われていた。歴史共同研究報告書の共同テーマの確定について、中国側の委員である中国社会科学院近代史研究所の王建朗副所長は、「すべての言葉の表現は辛苦を尽くした討論を経た後に確定したものだ。『侵略戦争』という言い方は最後の段階になってようやくテーマとして報告書に書き入れられたのだ。日本の主流学術界は侵略を否定しないが、文章を書く時には、往々にしてこの言葉の使用を回避することがある」とした。

このほか、双方には学術の面でも相違があった。王建朗氏によると、日本の学者は具体的な事件に対する研究を重視し、「偶然性」を強調し、中国側は事件発生の「必然性と計画性」を強調している。

「北京週報日本語版」より2010年2月3日

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