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japanese.china.org.cn | 15. 01. 2013

中川幸司:成人式には殺人ゲーム!?

タグ: 成人式 雪 若年層 中国語 殺人遊戯

その意味ではですね、もしこの「人狼ゲーム」が外国語でその言語の友人たちとできるようになれば、おそらくある程度日常生活では困らないくらいの言語レベルを習得したといえるのではないかと思います。

僕は、何を隠そうこの「人狼ゲーム」の魅力にハマった人間であります。今でも、人狼ゲームに魅了され続けています!しかし悲しいかな、中国の友人たちが盛り上がっている中で、お誘いいただいても『殺人遊戯』はハマることがなかなか難しいのです・・・・。

僕が中国の友人たちと『殺人遊戯』を遊ぶときには、言語の問題ではなく、もっと異なった問題を抱えます。それは、ルールの緩さ・・・。日本人同士がやるときには、さきほどパッケージ版を用いてゲームを遊ぶというようなことを書きましたが、なにしろゲームを遊ぶにはルールが明確化されているべきであるし、また、完成された厳密なルールに従って遊ぶからこそ、ゲームの魅力が味わえるということを日本人同士が言わないまでも頭でわかっている、共感しているはずです。 ところがですね、中国の友人たちは違った感性をもっていて、なにしろ、進めてしまおう、ゲームを始めてしまおう、ということでルールを適当にあわせただけで、またルールブックももたずに、スタートしてしまうのです。結果として、本来負けであるプレーヤーが買ってしまうこともあり、また、そうなってしまっても、みんなが「まぁいっか、じゃぁもう一回やりましょう」となるんですね。

これが「人狼ゲーム」が好きな僕であるからこそ、承服できないポイントであります。「たとえ事前の説明と共通認識化に時間がかかったとしても、ルールが厳密だからこそゲームは戦略性が適正に反映されて面白いのだ」、と考える典型的な日本人的思考と、「コミュニケーションを目的としているのだからルールの共有に時間をかけるのは最低限にし、一秒でも早くプレーして、エラーがあればその都度修正すればよいじゃないか、ゲームをしながら会話することが楽しいんだから」と考える典型的な中国人的思考、がそこには存在するわけです。確かにどちらも正しいような気もします。この点がいわゆる思考法の異質性。日中間の経済交流盛んな製造業などでも顕著ですが「つくりこむ」ということへの日本と中国の態度の違いがあるのだとおもいます。品質管理コストを増加させ歩留まりを良くするのか、または、歩留まり悪くても品質管理コストを下げることを重視するのか、ともに最終的な金額ベースの生産性は変わらないかもしれない。(それでも、しばらくの後に中国もルール重視になってくるのではないかと思います。人狼ゲームもパッケージ版が売れるようになったら、中国社会は変わってきたといえるのかもしれません!)

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