中日共同制作の『蒼空の昴』を観て

中日共同制作の『蒼空の昴』を観て。

タグ: 蒼空の昴 林国本

発信時間: 2015-03-13 17:44:08 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

林国本

日本人作家浅田次郎原作、中国人の脚本と演出でドラマ化された『蒼空の昴』が北京衛星テレビ(BTV北京) でオンエアされた。私は二国間の共同創作に踏み切った人たちのパイオニア.スピリットに感銘を覚えるとともに、中国が列強の侵略でだんだんと衰退していく悲劇的な時期の清朝宮廷内の政治力学をはたして的確に演じきれるのかという一抹の不安があったこともたしかだ。中国でよく知られている日本人女優田中祐子さんの演技力には問題はないが、中国の人びとの間でこれまですでに出来上がっていた、あるいはすでに学者や劇作家たちによって作り上げられていた西太后像とのギャップが生じて、評論家諸氏、学者諸賢のきびしい論評にさらされるのではないかという懸念があった。

ドラマのオンエアが始まったとたん、知人が電話ではたしてこのむずかしい役柄を外国人がこなせるのかということを言ってきた。私は恥ずかしながら、一部の人たちの間で、いわゆる「日本通」として虚像が出来上がっていることもあり、よくこういう間い合わせがあり、実にありがた迷惑であると困っているが、なにぶん浅学非才でありながら、日本語をメシの種としてきた人間なので、この手の電話には「よろず相談」に応じるスタンスで、個人的見解として返事はしている。しかし、正確に言えば、私は日本については「半可通」以下であると言った方がよい。

浅田次郎という作家は、私も一ジャーナリストとしてたいへん興味がある。作品もかなり読んでいるし、その生い立ちについての資料も持っているが、母から辞典を買ってもらったというエピソードには深い感銘を覚えたのを記憶している。私事で恐縮であるが、私も子供の頃に伯父さんに英語の辞典を買ってもらい、それを最初のページから最後のページまで読み通したのを今でも覚えており、この体験がその後ジャーナリストとして大いに役立った。浅田次郎さんは中年になって名を成した作家だが、たいへんな勉強家であり、息抜きのためにラズベカスなんかでカジノをたのしんでいることもあるが、作家になるために生まれてきた人と言っても過言ではない。西太后とか、中国の現代史の人物について小説を書くことにチャレンジしたことはすばらしいと思っている。

最近、メディアで氏が新しい日中二十一世紀委員会の日本側メンバーの一人になっていることも知った。これは氏が中国をさらに深く知るためのきっかけになるにちがいない。さて、本題にもどるが歴史上の人物をいかに描くかは、一人一人の作家、脚本家によって違いがあってもよいと私は思っている。たとえば、私の知人で『三国志』については、諸葛孔明、劉備より曹操を高く評価している人もいる。西太后は中国の不発に終わった「維新」を弾圧した悪女、中国の半植民地化をもたらした悪女、中国型マキャベリズムの典型として描かれてきた。今中国が抱えている問題の根っこは清王朝末期にあるるという歴史像が一般の庶民の間で出来あがっている。現在、中国では清朝の歴史の研究がプロジェクトとしてすすめられている。学者の間でも、いくらか違った見方があると聞いている。しかし、西太后像はいろいろな描き方があってもよいのではないか。とくに現代の生の時代とはもうとっくに直接結びつきのない人物であるので、幅広く、違ったアングルから照射してもよいと思う。日本にも司馬遼太郎の描く竜馬像があるように。

今回のBTVのドラマのオンエア以後、中国人の間では、なるほど西太后像もすこし違った描き方があるのだということを知ったという話を耳にすることがある。中国の改革開放によって、国民はいろいろな価値観、見方の存在を知るようになっており、それをどのようにして中国のリアリティーと結びつけて受容、消化していくかはこれから学習の課題となろう。

しかし、歴史上の人物像については、たしかにむずかしい側面があることも否めない。遠い過去のことはリアリティーとの結びつきがないため、学術上の流派とか見解の違いということで済ませるが、それが今日的題材となるといろいろ複雑なものが絡んでくる。私は仕事で、日本に長期滞在したことがあるが、たとえば、鹿児島に行って、西郷隆盛と大久保利通の話題を切り出すと、とくに高齢者の間では違った見方も聞かれる。そういう意味で今回のドラマは一石を投じたといえよう。これからの合作映画制作のケース. スタディーと言ってもよいのではないだろうか。作家と脚本家には申し訳ないが、やはりこれまでのドロドロした、悪女として描かれた西太后像が私の脳裏に固まっていて、ほかの像はなかなか受容しにくいのである。というのは「維新派」を血祭りに上げた西太后像がもう私の頭にこびりついているからだ。そして、中国が半植民地化していくなかで払った代償の大きいことを思うと、この人物は悪女のイメージを払拭することはできないと思っている。しかし、違った西太后像を描く試みに異論を唱えるつもりはない。所詮、西太后にしても一人の人間である。いろいろな側面があってもよいと思う。そういう意味で、浅田次郎氏の西太后像、田中祐子さんの演じた西太后像も、中国の観客のイメージの世界をより豊かにするものとして吟味してみるのもよいというのが私の感想である。この拙文は評論ではなく、感想であることを重ねて述べておきたい。

かりに、中国の作家の書いた徳川家康、石田三成の像が日本のテレビでオンエアされたとしたら、やはり新しいイメージへの適応のプロセスが現れるにちがいない。それぞれの国の中で、祖父母の時代からつくり上げられてきたイメージを対置された場合を考えてみればよく分かるのではないだろうか。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年4月25日

TwitterFacebookを加えれば、チャイナネットと交流することができます。
iphoneでもチャイナネット!

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで
 

コメント

コメント数:0最新コメント

コメントはまだありません。