会場には、中国の東北部で日本軍と戦闘した際にソ連軍が使った高射砲も展示された(7月5日撮影)。
記念館会場では、若いソ連空軍士官の写真が人々の尊敬を集めていた。日本軍に対する空襲作戦に何度も参加したソ連空軍志願隊重爆撃機大隊の大隊長、クリシェンコ少校の写真である。1939年10月14日、クリシェンコは、日本軍の拠点を爆撃して帰還する途中、搭乗していた機体が損傷を受け、四川万県の長江に不時着し、犠牲となった。
ソ連は1937年11月から空軍志願隊を対日作戦のため中国に派遣し始めた。1941年6月の独ソ戦争勃発までに中国にやって来たソ連志願隊員は2000人余りで、そのうち200人以上が中国の戦場で犠牲となった。