中国・米国・英国3カ国の軍人による抗日戦争での協力を表した彫塑(7月12日撮影)。
中国人民の抗日戦争は、平和を愛する世界各国の人民と団体の幅広い同情と支援を受けた。展示された写真の中には、抗日戦争の根拠地で働いていた燕京大学の経済学教授で英国人のマイケル・リンゼイが晋察冀(山西・チャハル・河北)軍区の無線技術高級訓練クラスの学生の質問に答える姿もある。
世界各国のジャーナリストも次々と中国を訪れ、中国の抵抗戦争の実情を報道し、日本の侵略行為を世界に向けて明らかにした。1941年に出版された赤い表紙の「アジアの戦争」は、米国人記者のエドガー・スノーによるものである。
米国人医師のジョージ・ハテムは1936年に陝西省北部に到着した。後に中国共産党に加入し、長期にわたって医療事業に従事した。フランス人医師のビュジエは命の危険を冒し、貴重な薬品を北京西部の自宅から中国の抗日戦争根拠地に送った。オーストリア人医師Jakob Rosenfeldは新四軍と山東抗日根拠地で働いた。1938年9月、インドの中国支援医療隊が中国にやって来た。ドイツ人医師ハンス・ミラーは1939年に中国に到着し、太行山間部と延安で医療に従事した。1938年3月、カナダ共産党員で著名な外科医であるノーマン・ベチューンが医療チームを率いて延安に到達した。しばらくして晋察冀辺区に赴いたが、負傷者の緊急手術の際に感染し、1939年11月12日に河北唐県で病死した。会場に展示された遺物の手術用具一式はその生涯を物語り、偉大な国際主義の精神を示すものである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年7月25日