馬にワクチンを注射する中国侵略旧日本軍第100部隊の技師(資料写真)
偽満皇宮博物院の趙士見研究員は、関連史料から第100部隊の前身は1931年11月に広東軍に設立された臨時病馬収容所だったことを知った。1933年2月、広東軍司令部は臨時病馬収容所に広東軍臨時病馬防疫施設に改編し、施設を奉天(現在の瀋陽)から新京(現在の長春)に移すよう命じた。1936年4月23日、広東軍の板垣征四郎参謀長は陸軍省に『満州の兵備充実に関する意見書』を上申し、広東軍臨時病馬施設を怪我や病気の軍馬の治療、防疫、細菌戦対策の研究を行う「広東軍獣防疫施設」(設立時の正式名称は広東軍軍馬防疫廠)に改編することを提起した。
1936年8月1日、広東軍軍馬防疫廠が設立した。これは旧日本軍第100部隊の正式な設立を意味する。1940年末、広東軍の司令に基づき、同部隊は秘密ナンバー、満州第100部隊を採用した。
日本広東軍司令部が発行した関参一発第1877号命令文書のスキャン資料
馬などの動物の防疫という名目はすぐに引き剥がされた。1937年、「関参一発第1877号」命令文書が発行され、広東軍の植田謙吉司令官は日本の杉山元陸軍大臣に「軍用細菌研究従事者命令文書」報告の提出を命じ、高島一雄らを軍用細菌研究に従事させた。これにより、第100部隊が主張していた防疫研究は、組織的な国家軍用細菌研究へと変わっていった。趙士見氏は、「これは第100部隊が国の組織犯罪に手を染め始めたことを意味する」と話す。