『細菌戦用兵器の準備及び使用で起訴された元旧日本軍軍人の事件に関する公判書類』は、旧日本軍曹長(上士)実験員の三友一男が、第100部隊で細菌感染または毒殺の人体実験に参加したという供述を記載。中には、知らない間に食べ物に混入された毒物を服用した人もいた。彼らは何度もこれらの毒物を飲まされ、その様子を三友一男らが観察した。三友一男は、秘密を守るため、実験に使用した人は実験が終わると毒物注射などで殺害されたと証言した。
細菌戦は旧日本軍が中国侵略戦争を発動する重要な手段だった。劉龍氏ら専門家によると、発見された資料から、第100部隊は海拉爾などで野外細菌実験を行い、ノモンハン事件で旧ソ連軍にペストやコレラなどの伝染力の高いウイルスの液体や細菌弾を投下する任務にも参加したことがわかった。東北の一部地域で当時発生したペストも、第100部隊と関係していることが証明されている。
侵略者が東北の地を踏みつけ、罪のない庶民や日本侵略者に抵抗した戦士らが細菌戦の犠牲になった。このような苦難と驚異がある中、中国の女性と子供も負けずに抵抗した。楊靖宇、曹亜範、魏拯民、周保中、趙尚志ら抗日の名将と無数の抗日戦士、勇士は不朽の抗争、偉大な犠牲を払って日本侵略者に立ち向かい、最終的に壊滅させた。
関連資料を閲覧する偽満皇宮博物院の研究員(9月14日)
残酷な過去を永遠に記憶
1925年、37カ国の代表が『窒息性ガス 、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止』(ジュネーブ毒ガス議定書)に調印した。日本も調印したが、日本侵略者は戦争でその約束を破った。
劉龍氏は、「日本は侵略戦争で細菌兵器を研究し大量に使用し、大量の住民を死傷させただけでなく、被害者に巨大な心の傷を与え、自然環境も破壊した」と話した。当時、第100部隊が投下した細菌兵器は多くの人と動物に感染し死亡させただけでなく、川や草原、森林も汚染した。敗戦前、慌てながらも日本侵略者は実験場にいるウイルスに感染した動物を逃がし、罪のない庶民に害を与えた。