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japanese.china.org.cn |22. 09. 2018

中国侵略旧日本軍の細菌戦第100部隊の秘密に迫る

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 第100部隊が存在した期間、「魔の手」は多方面に伸びた。第100部隊は巨大な細菌戦部隊で、本部、分工場、軍団獣医部隊の3つの部分からなり、うち本部は総務部、教育部、業務第一、第二、第三、第四部で構成され、大連や牡丹江などに支部を設置した。「軍団獣医部隊」は第100部隊と一線部隊が合わさって設立された特殊な細菌部隊で、旧日本軍第20軍の2631部隊や第11軍の2630部隊などがある。

 

 日本の侵略者が細菌兵器の極秘研究と細菌戦の準備を進める中、党の指導下で東北地区抗日武装の闘争も続いていた。第100部隊の設立と同時期、吉林通化や撫松などの東北の多くの地域では、東北抗聯第一軍、第二軍などの武装力が中国侵略旧日本軍を攻撃していた。抗聯部隊は戦闘を続けながら拡大し、東北の住民らも日本侵略者の残忍な統治への抵抗に加わった。このような状況は気違いじみた侵略者を刺激し、殺傷力のより高い細菌兵器で対抗しようと企てるようになった。

 

苦難の中で粘り強く抗争

 

 中国侵略旧日本軍731部隊は、細菌の人体実験などの恐ろしい犯罪行為で知られている。第100部隊は731部隊の「悪魔兄弟」として、731部隊に劣らないほどの恐ろしい行為をしていたことが研究でわかった。

 

  しかし、第100部隊の真相がこれまで知られていなかったのはどうしてか。

  

 趙士見氏によると、日本侵略者は敗戦後に犯罪行為が明るみになることを恐れ、敗戦前に日本陸軍省が広東軍司令部に第100部隊に関する全ての関連資料、器材を焼却処分または持ち去るように命じ、工場もひどく破壊された。戦後に長春市が調査した資料の中で、かつて第100部隊の運転手を担当した市民の王均氏は、「当時、部隊の事務所の入り口で数千枚の写真をガソリンで燃やす人を見かけた。一晩経っても燃えきらず、証拠隠滅をしていた」と証言した。

 

 第100部隊の残忍な犯罪行為が燃え尽きることはない。吉林省博物院の元党委員会書記・副院長の趙聆実氏は1980年代から第100部隊に関する研究を行なっている。当時の経験者のもとを何度も訪れ、趙聆実氏ら専門家はこの部隊が犯罪行為を隠そうとしていたことを明らかにした。

 

 趙聆実氏によると、第100部隊は旧日本軍の命令を受け、動植物に細菌戦を行う細菌兵器を早急に研究、製造するため、部隊本部および各支隊を結成して研究開発に取り組んだ。動植物向け細菌戦の細菌について、彼らは研究を繰り返し、最終的にマレイン、炭疽菌、牛痘菌、ペスト菌、白皮症などを主な細菌兵器にした。

 

 趙聆実氏は、第100部隊は防疫目的ではなく、細菌の培養と製造のために大量の動物を実験に使用したと話した。当時、第100部隊は約20棟、1万平方メートルの小屋にネズミや馬をはじめとする大量の動物を飼育していた。戦後の調査によると、第100部隊は当時、ネズミ、ウサギ、馬などの実験用動物を年間数万頭(匹)繁殖させ、実験用の馬の多くが中国の庶民から奪ったものだと推測される。

 

 研究を進めるにつれ、専門家は第100部隊がもっと恐ろしい人体実験を行っていたことを知った。日本の敗戦後、第100部隊遺跡付近の一部の住民は真相を知った。趙聆実氏によると、1949年春、一部の村民が第100部隊遺跡付近に肥料用の馬の骨を掘りに行った際に多くの人骨を発見した。また、巨大な遺体埋葬所も発見し、その惨状は表現できないほどだったという。

 

 複数の資料から、第100部隊が人体を細菌実験に使用していたことが証明された。ある資料には、第100部隊のメンバーで陸軍獣医少尉の安藤敬太郎が、豚やネズミの代わりに生きた人間を実験に使用するのを目にしたと証言したと記載されている。戦後、第100部隊の陸軍獣医の大内保、西村武志らは在日連合軍司令部に第100部隊の若松有次郎長官が人体実験を行ったことを暴露した。米国に現存する「A報告」と「G報告」は、生々しい文章と絵で第100部隊が炭疽菌とマレインの効能実験に人体を使用し、残忍な解剖を行ったことを記載している。

 

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