パハルデイン・パルチさんは新疆ウイグル自治区(以下新疆)の省都ウルムチ(烏魯木斉)市で生まれ育ち、今は日本で働くウイグル族の青年だ。古里から遠く離れた東京で、彼はどのような生活を送っているのだろうか。「新疆」「ウイグル族」がしばしば国際世論の俎上に載る今、パルチさんの生活に変わりはないのだろうか。
5月13日パルチさんは上野で東京支局の取材を受けた
ひとり異郷で過ごす古里の祭日は、一層家族が懐かしく思えることだろう。5月13日、ウイグル族の伝統行事である肉孜節(断食明け)の日に東京支局が取材を行った。
来日4年の元留学生
パハルデイン・パルチさんは今年25歳、来日してすでに4年がたつ。多くの中国の「90後」(1990年代生まれ)同様、パルチさんも小さい頃から日本のアニメや映画を見て育った。「一番好きなのは『犬夜叉』。ハマっていた頃は登場人物の分析を書き留めたりもしていました。日本のホラー映画も大好きですね。小さい頃は近所の子と一緒に『呪怨』を見ました。そうした文化的な影響があったからか、私は日本語がとても好きなんです。私にとって日本語は、きれいでおしゃれなイメージがあります。また、ウイグル語と日本語は同じ膠着語に分類されるので、ウイグル族の私にとっては学習しやすいという利点があります。そんな経緯で、大学は北京語言大学の日本語科を受験しました」と日本との縁を語った。
北京語言大学の日本語科は日本の学校と提携プロジェクトを結んでおり、学生は中国で2年間日本語を学んだのち日本に2年留学しても、卒業証明書と学位証明書を取得することができる。大学2年生の時に日本に短期訪問する機会を得たことが、日本留学を決めたきっかけとなった。
「2016年に中日学生交流団体フリーバード主催のイベントに参加し、京都で1週間の交流を行いました。昼間は日本の若者と一緒に企業訪問をして学び、夜は中日交流の促進について討論を行うというものです。この1週間で得た京都の美食や礼儀正しい人々への印象がとても良かったので、日本に留学したいという思いが芽生えました」
セミナーの友だちと一緒に沖縄で卒業旅行
17年3月、パルチさんは留学生として改めて日本の土を踏んだ。「日本の大学は中国と違って自分で家を借りるため、個人的なつながりはあまり多くなく、学校が組織するサークルもあまり充実していないため、当初はやはり少し寂しい思いをしました。そこで友達を増やすために、東日本大震災の復興を支援するボランティア団体のブレーメンズに参加したり、英語サークルで他の国の留学生と交流したり、中日関係の講座に申し込んだりといろいろやりました。そこで出会った友人には色々と助けてもらいましたが、特に茶道の先生はとても良くしてくれて、日本のマナーや習慣で分からないことがある時には、いつも先生に聞くようにしていました」と留学生活を振り返る。