明治学院大学国際平和研究所研究員の松野誠也氏(1974年生まれ)は、自費で30年以上にわたり、旧日本軍の毒ガス戦・細菌戦などの歴史研究を続けている。松野氏は確かな証拠により、日本政府が731部隊の歴史資料を長期間隠蔽してきたことを暴露。一部の発見資料を中国に寄贈し、旧日本軍の中国侵略における罪状に関する全体的な研究の発展を促進してきた。松野氏はこのほど東京で「環球時報」の単独インタビューに応じ、「旧日本軍は大量の秘密犯罪を犯した。歴史研究者として、私の使命は調査研究によって真実を見つけ出し、世界に真実の歴史を知らせることであり、それを通じて戦争問題を反省し、過ちを繰り返さないよう日本社会に促すことだ」と語った。
松野氏は、自身が発掘した資料の中には、それまで不明だった数多くの歴史的事実を明らかにした2つの資料があり、特に思い入れが深いと語った。1つは「関東軍防疫給水部職員表」だ。この文書は、731部隊が1940年に129人の人員不足を抱えながらも、同年9月に急ぎ大規模な細菌戦を発動したことを初めて示している。通常、軍隊は人員が充足して初めて行動できるが、731部隊は体制が整わない状態で暴挙を急いだことで、旧日本軍細菌戦の狂気的かつ非人道的な本質を露呈している。もう1つの資料「迫撃第五大隊毒ガス戦詳報」は、旧日本軍の毒ガス部隊が中国戦場でびらん性の毒ガスを使用した罪状を立証している。この詳報は、1939年7月に迫撃第五大隊が山西省で作戦中、呼吸器官を強く刺激する「紅筒(赤弾)」231発と、皮膚や粘膜をただれさせる「黄筒(黄弾)」48発を中国軍に向けて発射した実戦データを記録しており、非常に貴重だ。
松野氏は「関東軍防疫給水部職員表」を中国侵略日本軍第七三一部隊罪証陳列館に寄贈したほか、広東省檔案館(公文書館)にも関連資料を寄贈。これには、旧日本軍が偽札製造のため国民党政府の法幣(法定紙幣)印刷機を略奪したことを初めて立証する日本語の公文書や、広東省に侵攻した旧日本軍第104師団のアルバムなどが含まれる。
松野氏は、「これらの新発見は、私個人にとってだけでなく中国にとっても重要だ。民間の立場で、政府から独立してこのような平和交流を行うことが、日中両国民の相互理解を深め、信頼関係を構築する助けになると考えている。これらの努力を通じ、私の願い『日中友好、日中不再戦』を実現したい」と語った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2025年8月18日
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