日本メディアによる最近の世論調査では、高市政権の支持率が続落し、さらに若年層の支持率では過去最低を記録した。若者はすでに高市陣営にとって「失われた層」となりつつある。この状況は偶然ではない。亀裂の世代化、政治家の偶像化、政治の劇場化という3つの政治の潮流が若者を取り囲み、政治への信頼の危機と深い疎外感を生み出している。
日本の政治の亀裂は現在、世代間でさらに拡大している。政治の危機は単なる左右の対立ではなく、老若の世代間の分断でもある。日本の公式統計によれば、直近2回の国政選挙では高齢者の投票率が6割を大きく超えたのに対し、30歳以下の若者の投票率は3割をわずかに超える程度にとどまった。主要政党が擁立する候補者の3分の2以上は中高年。日本の未来を誰が主導しているのか、その答えは明らかだ。
この20年、日本の財政における教育支出はほとんど増えておらず、その割合は主要先進国の中で長年下位に位置している。その一方で、年金や医療・介護などの支出は増え続けている。数十年にわたり高齢層が政治を主導するなかで、日本社会には排外的な感情が意図的に育まれ、世代間の分配の不公正を覆い隠してきた。日本の若者もこうした煽動的な言説に取り込まれやすい。直近2回の国政選挙では、排外的で強硬で、反既成の政治を掲げる政治団体や政治家が30歳以下の有権者の間で急速に支持を伸ばし、若者の票のおよそ4割がこうした勢力に流れた。
さらに政治家の偶像化も進んでいる。例えば参政党代表の神谷宗幣氏だ。「日本人ファースト」などのポピュリズム的スローガンと、率直で粗削りなライブ配信スタイルによって急速に支持者を増やした。2025年の参議院選挙と2026年の衆議院選挙の後、参政党は一躍主要政党の一つとなった。先日、神谷氏が東京大学の「五月祭」で講演に招かれた際、支持者と排外主義に反対する人々の間で激しい対立が生じた。キャンパスでは爆弾テロを示唆する脅迫まで寄せられ、最終的に文化祭全体が中止に追い込まれた。政治的偶像をめぐるファンと反対派の衝突は、ネット上の口論から現実の対立へとエスカレートしている。
神谷氏の台頭は、日本政治における政治家の偶像化の典型例だ。神谷氏が売るのは政策ではなくキャラであり、示すのは具体的な解決策ではなく姿勢だ。日本の若者がこうした政治的偶像に惹かれるのは、特定の政策に共鳴しているからではなく、現実への不満を政治的偶像に重ね合わせ、既存秩序を打ち破りつつ感情的な満足を与えてくれる「強い指導者」を求めているからだ。ソーシャルメディアによって拡散されるなか、外交の強硬姿勢、歴史の軽率な発言、急進的な安全保障路線ほど若者の支持を集めやすい。政治的インフルエンサーへの熱狂のなかで、日本の若者は知らぬ間に外部世界への敵意を植え付けられていく。
さらに懸念すべきことに、日本の政界は近年、あたかも巨大な劇場のようになっている。日本の若者の目には、経済と民生はすでに傷だらけであるにもかかわらず、政治の舞台では太鼓と拍子木が鳴り続けている。スキャンダル、閣僚交代、解散、選挙が次々とメディアの見出しを占め、誰が上がり誰が落ち、誰が裏切り誰が逆転したかが世論の主役となる。物価がなぜ上がるのか、産業がなぜ衰退するのか、日本の若者がなぜ希望を見いだせないのかといった問題は、政治劇の舞台裏に追いやられている。制度は空回りし、問題は積み重なり、危機は醸成されていく。劇場的な政治のクライマックスのたびに、日本の若者の未来が犠牲になる。百年前を振り返れば、「五・一五事件」や「二・二六事件」といった暴力的政治事件が相次いだことで、日本の政治による統治は次第に機能を失い、最終的にファシズム勢力が「国家救済」を名目に政治の決定権を掌握した。その結果、日本国民と周辺諸国の人々に甚大な被害がもたらされた。残念ながら、歴史教科書のたび重なる改訂によって、今日の日本の若者はこの歴史的悲劇を十分に認識することが難しくなっている。
亀裂の世代化は日本の民意の代表性を空洞化させ、政治家の偶像化は政見の合理性を空洞化させ、政治の劇場化は統治の有効性を空洞化させる。いま日本の若者は、現実への失望のなかで、政治家たちによって作られるサスペンスと感情の収奪に巻き込まれている。政治の劇場化に溺れ、政治家の偶像化を放置し、世代間の亀裂拡大を許すのは、現在の日本の政治の行き詰まりであると同時に、日本の若者自身が打ち破るべき「迷いの壁」でもある。
(徐偉信 浙江外国語学院新型国際関係高等研究院研究員)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2026年6月29日
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