2006年に、法政大学国際日本学研究所の王敏教授は、ある会議で偶然、神奈川県開成町の露木順一町長の隣りに座った。露木町長は王教授に、開成町という町名は、中国の古典占書「易経」から来ており、開成町には「大禹治水(黄河流域が大洪水に見舞われた際、時の皇帝大禹が洪水を治めた出来事)」を記念する石碑があると言った。
会議の後、王敏教授は調査を行い、「大禹治水」を記念する石碑が300年前に建てられたことが分かった。石碑にはその時代の有名な日本の儒学者の碑文が刻まれている。王教授の研究によると、大禹皇帝時代の文化が日本に入ってきたのは少なくとも1000年前のことであることが明らかになった。
王敏先生は2007年に「文芸春秋」で、日本各地の市民に、自分たちが住む町の大禹皇帝文化の痕跡を探すことを呼びかけた。地震が多い国である日本は、昔から絶えず洪水などの自然災害と戦っていたと思われ、治水の精神的なシンボルとして、大禹皇帝を祭っていた場所はきっと他にもあると王教授は考えていた。大脇良夫を中心に各地の研究者の協力により、2013年4月まで、63カ所の「大禹祭祀」と関係する痕跡が確認された。
禹王遺跡の分布図(2012年)