1937年12月13日の東京日日新聞の特報によると、「旧日本軍の向井敏明少尉と野田毅少尉の2人は、南京城に入るまでに「百人を斬る」競争を行った。12月10日、紫金山に侵攻したとき、2人が殺した人数はすでに105人と106人に達していた。
12月10日午後、2人は対面した。野田毅少尉が「私はすでに105人を殺したが、あなたは」と聞くと、向井敏明少尉は「私は106人を殺した」と答えた。2人は笑い、向井敏明少尉は1人多く殺したが、だれが早く100人殺したかわからないため、この目標を150人に増やした。
東京日日新聞のこの血なまぐさい記事は「百人斬り大接戦」、「猛勇!向井、野田両少尉」という見出しで、2人が刀を持って立つ写真を掲載した。その冷酷で残忍な様子は日本人侵略者の象徴となり、中国人の心に深く刻まれ、拭いさることはできない。
日本人戦犯の向井敏明、野田岩、田中軍吉(左から)が南京で裁判にかけられたときの様子(1947年12月18日)