中国の80年代生まれを代表する青春文学作家・郭敬明(クオ・ジンミン)が初めてメガホンを取った映画「小時代」は公開初日の上映回数シェアが45%に達し、興業収入も2日間で1億元(約16億3800万円)、3日間で2億元(約32億7600万円)、6日間で3億元(49億1400万円)を超すという怒涛の勢いで数字を伸ばし、今年封切られた国産映画の中で興収3位につける大ヒットとなっている。客層は90年代生まれを中心とする郭敬明の非常に膨大な数に上る読者と多くの業界関係者という、全く異なる2つの層からなる。この映画が引き起こしている激しい論争は中国映画産業における特殊な一例となっている。「人民日報」が伝えた。
■「小時代」の生存の道
中国社会科学院による新メディア青書「中国ニューメディア発展報告書(2013)」によると、2012年末までに、中国のネットユーザーは5億6400万人に達し、青少年はすでにこの時代の絶対的な主体および最も活発なユーザーとなっている。「ソーシャルネットワーク」時代の映画として「小時代」は公開前からネット上で激しい論争が巻き起こっていた。この映画のターゲットは、まさしくこれらの熱い議論やアクセス数、データ流を生み出す最も中心的な層である10代、20代の青少年たちだ。「小時代」の非常に正確なマーケティング分析や製作・宣伝戦略は多くの映画が市場に直面したときに犯してしまう、ターゲットを定めずやみくもに宣伝するという間違いを回避させた。あるいは、この映画の製作会社や宣伝・広告は初めから大多数の国産映画とは異なり、ビッグデータ時代の生き残る道を鮮やかに示して見せたと言える。
■「ひけらかす」 90年代生まれの青春の表現方法
映画「小時代」には一種独特な青春の形態が描かれている。ひとまずここではそれを「青春をひけらかす」と呼ぶことにする。こういった青春をひけらかすことは問題なのだろうか?その答えは、イエスだ。物欲を直視することは、物神崇拝に陥りやすい。燃焼することだけを追及し、燃料を蓄積することを疎かにするうちに、炎は弱まっていく…。しかし、青春における心の状態は客観的な存在の反映であり、青春をひけらかすことを優先させることは、易しく分かりやすい道徳で説得してもなくせるものではない。我々はただ歴史学者が言う「歴史人物に同情や共感を持つ事で、より深く歴史を理解する」といった方法で、少年の心理を尊重すると同時にともに遊ぶことで、光輝いてはいないが奥深く豊富な栄養分を、自身をひけらかす青年にこっそりと渡す方法を見つけ出すことができる。しかし、これは次の段階のことだ。まず第一歩は輝くことの正しい価値を発掘し、「やりたい事をやって、誰よりも輝く」という哲学を楽しみ、評価しようとするべきだ。
■商業的な美しいパッケージは偽りの理想
芸術という基準で評価するならば、「小時代」の非は避けられないものだ。使い古された感もあるが、上海出身の女流作家・張愛玲の言葉を借りて形容するなら、この映画はまるで「豪奢な上着のようなもの、そこにはシラミがたかっている」(「 天才夢」)ようだ。「小時代」は何の変哲もない多くの映画のひとつに過ぎず、魅力的な商業的な要素を大げさに打ち出してはいるが、青年のアイドルとして負うべき責任から逃げている。「小時代」は当然商業的な成功を収めた代表的な映画の一つになるだろうが、これは危険な要素を過積載しているこの映画を受け入れることには決してならない。いわゆる「理想」や「個性」でつぎはぎだらけになった豪華な上着を脱ぎ捨てた時、「小時代」の低空飛行がどれだけ持続できるのか心配である。(編集MZ)
「人民網日本語版」2013年7月6日