学校所在地は広州第1陣地下文物埋蔵エリア
今回の古墓の発見は南山大学の地理的位置と密接に関わっている。同プロジェクトは「康楽村―新港西路」地下文物埋蔵エリアに位置し、鳳崗や馬崗頂などの丘があり、過去に新石器時代の文物や後漢の墓などの遺跡も発見されている。1950年代に先史時代の石器が見つかり、1960年代以降に何度も古代の墓がみつかr、2014年に広州市第1陣地下文物埋蔵エリアに指定された。
広州市文物考古研究院の責任者は、「これまでの考古発見と地理研究成果から推測すると、漢代の海珠区は現在のような大きな島ではなく、宝崗、暁崗、赤崗、馬崗頂などの丘を中心に形成された小さな島で、後漢の墓の主は島に生活していた住民である可能性がある。中山大学広州校南キャンパスは地勢が高く、古代の人々の生活、埋葬に適していた」との見解を示した。
同プロジェクトの考古現場責任者の宋中雷氏は、学校と広州市文物考古研究院は文物保護法規と考古作業規定に基づき、これらの遺跡の緊急発掘保護を行うと話した。
学校で頻繁に古墓が見つかるのはなぜか
学校でが見つかるのは珍しいことではない。西安市を見ると、陝西師範大学で賈耽(唐朝宰相)、西安理工大学で唐朝公主の李倕(皇家理工大学と冗談で呼ぶ人もいる)、西安財経学院で夏太後(秦始皇帝の祖母)の墓が発見されている。西安、北京、洛陽のような有名な古都は、埋蔵品や遺跡の数が他の地域より多い。また、昔の居住に適した地域はそれほど広くなかったが、都市の発展に伴い、もともと埋葬エリアだった場所も都市の中心部になった。
中山大学で古墓が発見されたのは今回が初めてではない。1961年1月10日付の『羊城晩報』は、中山大学考古研究チームが校内で前漢の墓を発見したと報じている。また同年11月、『中山大学』は、中山大学考古研究チームが校内東区の原高崗球場で後漢のれんが造りの墓を発見したと記録。1981年4月にも、中山大学南東区の電教大学建設現場で後漢の墓が見つかっている。関係部門の同意を経て、同校の人類学部考古学科の教員と学生が墓の発掘作業を行った。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年1月8日
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