端午節の文化
端午節の由来
竜の祭日
屈原を記念する祭日
屈原が捜し求めた楚の国を栄えさせる道と、理想のためにわが身を犠牲した崇高な精神は、人々の尊敬をえた。屈原が川に身を投じた知らせを耳にした人々は、四方八方から馳せさんじて、船を出してその屍体を捜したが、水にそって流れ去ったのか、どうしても見つからなかった。「楚人これを哀し、此の日の至るごとに、竹筒に米を貯え、水に投じて祭祀す」(『続斉諧記』)。言い伝えによると、これが端午に竜船を漕ぎ、ちまきを食べる由来という。端午節に門前に艾の葉や菖蒲を挿すのも、屈原の魂寄せのためであるという。端午節と屈原の結びつきは、人々がこの愛国の詩人をしたっていることを意味している…
端午節の習俗
魔よけの節句
端午節にヨモギをさしたり、ショウブを掛けたりする習わしは、古代人が5月5日を「悪月、鬼日」としていたことに始まる。五月には、家を建てたり、かまどを設けたり、寝床に敷くござを干したり、新しい仕事や役職に就いたりしないだけでなく、5月5日生まれの子どもは両親に悪運をもたらすと考えられて、捨てられたという話も残る。
また、5月ともなると暑くなり、カやハエが出てきたり、疫病が流行ったりする。「五毒」と言われるヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモなども出てきて、人間に害をおよぼす。そのため、香りのきついヨモギやショウブで害虫を追いはらうほか、玄関先にトウガラシやニンニク、破れた漁網を掛けるなど、さまざまな魔除けの風習がある…
竜船競漕にぎやかに
端午節になると、河畔(湖畔)の地域では、竜船競漕が行われる。屈子祠村の竜船競漕は、たいそうにぎやかだ。競漕前には、竜頭を祭る儀式が行われる。村ごとに竜船の漕ぎ手たちが竜頭をかつぎ、船旗やかいを捧げ持ち、ドラや太鼓、爆竹の音が鳴りひびくなか、屈子祠の屈原像を前にして、ひざまずいて拝むのだ…
ちまきは端午節の伝統的な食べ物である。このちまきについて面白い物語がある。言い伝えによると、東漢の建武の年間に、欧回という長沙人が、昼間とつぜん三閭大夫(屈原はかつてこの官職についていた)と自称する人間に出会った。その男は欧回にこういった。「なんじらが私を祭ってくれるのは有りがたいが、いつも供えてくれた食物の大方を川に棲んでいる竜に盗まれてしまうのじゃ。こんご供え物をする時には、棟の葉で(竹筒を)ふさぎ、五色の絹糸でくくって欲しい。竜はこの二つの物を恐れるので、敢えて盗もうとはしないであろう」。それから、人々はその要求通りにしたが、のちにだんだん現在のちまきになったという…
端午節の詩
端午
唐・文秀
節分端午自誰言 節分端午誰が言える
万古伝聞為屈原 万古より伝聞す屈原の為と
堪笑楚江空渺々 堪笑す楚江の空渺々たるを
不能洗得直臣冤 直臣の冤を洗ぐを得ず
「中国網日本語版(チャイナネット)」2023年6月19日
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