淄博の街を歩くと、街中の自動車ナンバープレートは全て「魯C」で始まっている。「魯」は山東省の略称であり、「C」はナンバー区分において淄博を示す記号である。興味深いことに、このアルファベットのCは、この都市の特質をも象徴している。淄博は山東の地理的中心(central)に位置し、古来、交通と商業往来の重要な結節点であった。また、古くから名高い陶磁(china)の里でもあり、その製陶の歴史は紀元前6000年にまでさかのぼる。さらに、豊富な石炭(coal)などの鉱産資源と利便な交通条件を背景に、淄博は中国においていち早く近代工業化の道を歩み始めた都市の一つである。
今日、歴史の蓄積と人文の趣を併せ持つ淄博は、多様な表情をもって、この古い町ならではの新たな物語を語りつつある。
バーベキューのぬくもり
高速鉄道で淄博に到着し、駅を出た途端、改札の向こうに掲げられた「好客山東歓迎您(もてなし好きの山東へ、ようこそ)」の巨大な広告看板が目に飛び込んできた。
「好客」――それがこの町に対する多くの人の第一印象であろう。
シェア電動バイクのそばに立ち、スマートフォンでルートを調べていると、ほどなく通りがかった淄博市民が自ら声を掛け、手助けが必要かどうか尋ねてきた。軽く会話を交わし、こちらがよそから来たことを知ると、相手はさらに評判のよいバーベキュー店をいくつも親切に紹介してくれた。
午後5時、地元の人の案内に従い、張店区の八大局便民市場を訪れた。この市場は南北に約700㍍続くメインストリートと、東西に走る2本の補助路から成り、通り沿いには淄博式バーベキューや軽食などの店が軒を連ねている。
やがて夕闇が迫る頃、街はにわかに活気づく。百人規模のパフォーマンス隊が南から北へと通りを練り歩き、人波とスマートフォンのレンズが幾重にも取り囲む。メインストリートでの巡行を終えると、演者たちは通り沿いの焼き肉店へと散り、人々もそれを追うように店へ入り、そのまま席に着く。
小さな炉の上では串肉がジュウジュウと脂を弾き、白い煙がクミンと果木炭の香りをまとってゆっくりと立ち上る。人々は串を味わいながら、同時に演目を楽しむ。
淄博のバーベキューは独特である。串を焼く前に、まず各テーブルに小さな炭火コンロが据えられ、赤々と燃える炭が置かれる。七、八分ほど火の通った串が運ばれてくると、客は自ら焼き上げ、好みの焼き加減に仕上げるのである。
焼き上がったら、脂を滴らせる串を2本取り、まずタレをまとわせ、小さな薄餅(中国式の薄焼きパン)の上に広げて串を抜く。そこに山東名物の若いネギを添える。やや塩気のある肉を薄餅がやわらげ、タレが風味を引き立て、ネギが脂っこさを抑える――それぞれが補い合い、絶妙な味わいを生む。
舞台では、姜太公が功績により営丘(現在の淄博市臨淄区)に封ぜられ、斉国を建てた物語が上演されている。「私たちは毎日、昼と夜に2回の公演を行っており、内容は淄博に関わる歴史故事や、淄博出身の清代文学者・蒲松齢の『聊斎志異』に収められた怪異譚などです。観光客がバーベキューを楽しみながら、淄博の文化にも触れられるようにしているのです」と、焼き肉店「阿淄」の責任者・鄭峰さんは語る。「昨年8月に初めて劇場型公演を導入して以来、来客数は以前より30%増加しました。地元の人がわざわざよそから来た友人を連れて、串焼きと公演を楽しみに来ることも多いです」
八大局では、変わるのは業態とスタイルであり、変わらないのは市井の活気である。
夜のとばりが降りると、色とりどりの看板が次々とともり、通りは人であふれる。呼び込みの声、笑い声、そして食べ物の香りが入り混じる。「店長、炒鍋餅(もちもちした小麦餅の炒め物)を一つ!」「紫米餅(紫米を使った甘い餅菓子)はまだある? 1㌔ちょうだい!」「牛奶醪糟(発酵もち米を牛乳で煮た甘いデザート)、いい香り! 並んででも食べたい!」――多くの屋台の前には長い列ができ、人々は食べ物を手に、食べ歩きを楽しむ。その光景は、まさに生き生きとした市井の一幅の絵である。
悠久の斉文化の系譜
周村古商城にある「旱碼頭(陸の港)」の扁額を掲げる牌楼。これは、内陸の商業拠点として栄えた周村古商城の別称だ
淄博の歴史は、およそ8000年前の新石器時代・後李文化にまでさかのぼることができる。西周時代(前1046~前771年)には、諸侯国である斉がここに都を置いた。やがて春秋時代(前770~前476年)になると、周王朝は衰退へと向かい、諸侯は互いに争い、覇権を競い合った。
まさにこの時期、斉国は周辺諸国の侵入を防ぐため、後に「斉の長城」と呼ばれる軍事防御施設の建設に着手した。斉長城は、中国に現存し、かつ明確な遺構が確認できる最古の長城であり、1987年には世界文化遺産に登録された。学界では、その建設は春秋期に始まり戦国期に完成したとされ、前後170年以上を要したと考えられている。その歴史は、最も著名な北京の長城景勝地である八達嶺長城(明代長城)よりもおよそ2000年も古い。
淄博市内に残る斉長城の遺構は、主に市南部に分布し、全長は約110㌔に及ぶ。初夏の陽光が長城を柔らかな色に染め、山麓には村々が点在し、緑豊かな林が広がる。静かにたたずむ斉長城は、この地が戦火の時代を越え、安らかな風景へと移り変わってきた歴史を、黙して見守り続けている。
火と土が生み出す芸術
斉長城の麓に位置する博山区顔神鎮では、毎週火曜日から金曜日にかけて、見事な瑠璃吹きの技が披露されている。職人は1㍍以上もある吹き竿を真っ赤に溶けた瑠璃の中へ差し入れ、回し、引き上げ、再び回転させる。すると粘性のある瑠璃があめ細工のように竿に絡みつく。取り上げた瑠璃を台の上で均一に転がしながら冷ましつつ、竿を回転させ、反対側から息を吹き込んで膨らませ、さらにピンセットで細やかに形を整えていく。その一連の流れるような動きに、見学する観光客からは驚きの声が絶えない。
博山は「瑠璃の里」として知られる。元末明初には21基の古い瑠璃窯が存在し、中国における最初期の大規模生産拠点とされている。清代には、淄博の職人たちがしばしば都へ召され、「御用職人」として宮廷向けの瑠璃器を制作した。
瑠璃と陶磁はいずれも、火と土が生み出す芸術である。科学史の分野では、世界最古の瑠璃は、陶工が釉薬を施す過程で偶然発見されたものと考えられている。また古来、瑠璃の生産は陶磁と密接に結び付いて発展してきた。
後李遺跡から出土した土器の研究によれば、すでに紀元前6000年以上前には、淄博の先民が砂を混ぜた丸底土器を製作していたことが確認されている。
さらに顔神鎮は、淄博地域における重要な陶磁の生産地でもある。史料によれば、明・清時代(1368~1912年)には、この地に170基以上の円窯が存在し、博山六大窯場の中でも最大規模を誇っていた。ここで焼かれた雨点釉や茶葉末釉などの名高い陶磁器は、国内外で高い評価を得ていた。新中国成立後には、当時国内最大規模を誇った山東博山陶磁工場もここに設立された。
今日の淄博は、いわゆる「博物館ブーム」の波に乗り、陶磁や瑠璃に関する多様な博物館を通じて、生きた地域文化の展示ネットワークを築き上げている。
「まず手に持っている道具で、小さく土を切り取ってみましょう」。淄博陶磁瑠璃博物館の体験ホールに入ると、陶芸の講師がろくろ成形や造形の方法を実演している。十数人の子どもたちが長机の両側に並び、真剣な表情で一つ一つの工程を追っている。
「以前は淄博に来ても、景色を見たり食事を楽しんだりするだけでした」。隣市の浜州から娘を連れて訪れた張さんはそう語る。「今では博物館見学も欠かせないものになりました。歴史的な文化財や質の高い展示を鑑賞できるだけでなく、さまざまな体験プログラムもあり、私も子どももとても気に入っています」
山東最大級の生糸取引市場
春秋戦国時代、斉の都・臨淄は中国随一の工商業集積地であり、手工業が極めて盛んであった。その後、同地域の各地はそれぞれ異なる発展の道を歩んだが、中でも周村は厚い手工業の基盤と交通上の優位性を背景に、やがて北方屈指の商業都市として栄えた。
現在の周村古商城は、大街・絲市街・銀子街の3本の古い商業街から成る。絲市街と銀子街の交差点には六角形の石碑が立ち、「今日無税」の4文字が刻まれている。この石碑は、周村の商業発展に大きく貢献した歴史人物・李化熙の逸話を伝えるものである。
1654年、清朝の重臣であった李化熙は官職を辞して帰郷し、周村で一部の豪商が市場を独占し、さらに官府が名目を設けて過重な税を徴収しているため、正常な取引秩序が維持できなくなっている現状を目の当たりにした。そこで彼は自ら市場の税を全て負担し、石碑を立ててこれを告示した。その結果、周村は中国史上初の「免税区」となったのである。「免税」は全国各地の商人を引き寄せ、周村は一躍、全国的に名の知れた商業都市へと発展した。
一般に山東省は小麦など乾燥に強い作物を中心とする農業大省という印象が強く、養蚕は江南の水郷に多いとされる。しかし実際には、斉国の時代から桑を植え蚕を飼うことは当地の重要な生業であった。数千年にわたり、周村産の絹はシルクロードを通じて中央アジアや欧州へ運ばれると同時に、蓬莱や青島の港から海外へも輸出され、陸と海のシルクロード双方の重要な結節点となっていた。明・清時代には、全長730㍍に及ぶ絲市街は山東最大級の生糸取引市場として繁栄した。
今日、石畳の道を歩けば観光客が絶えず行き交い、沿道には整然と並ぶ灰色れんがの建物が続く。大染坊や瑞蚨祥、英美煙草公司など、かつて名をはせた商舗の旧跡が軒を連ね、往時の商人が集い車馬が絶えなかった盛況を思い起こさせる。
郷土に息づく伝統
長い歴史を持つ淄博には、多彩な民俗文化や伝統芸能が存在し、人々の努力によって世代を越えて継承されてきた。
民俗の記憶を守る
明・清時代、周村には各地から商人が集まり、大規模な市や廟会(縁日)が自然発生的に形成され、地域の民俗文化の発展を大きく促した。この時期に生まれた「周村芯子」は、現在でも廟会で最も注目を集める演目の一つである。
重厚などらの音とにぎやかな太鼓の響きに合わせ、芸能隊がリズムに乗って秧歌を踊りながらゆっくりと進んでくる。しかし、この華やかな舞踊はあくまで序章にすぎない。やがて長方形の小旗が掲げられ、演目名が示されると、いよいよ芯子の本番が始まる。
赤い布を頭に巻いた十五、六人の男性が台座を担ぎ、その上には楼閣風の装飾が施され、さらにその上に細長い高台が設けられている。嫦娥に扮した役者がその頂に片足で立ち、高く宙に浮かぶ。桃色の刺しゅう衣の長い袖が翻り、担ぎ手の動きに合わせて体が上下する様は、危うさと優雅さを併せ持ち、観客から大きな歓声が上がる。
明・清時代の周村では、廟会になると人であふれ、舞台を見ることすら困難であった。そこである地元の芸人が高足や灯台から着想を得て、鉄棒を「灯芯」とし、それを台座に差し込むことで新たな舞台を考案した。役者は鉄棒の先端に片足で固定され、まるで灯芯の上で揺れる炎のように見える。この発想から「芯子」と呼ばれる芸能が生まれたのである。
周村区大街街道弁事処のコミュニティー(社区)活動室では、周村芯子の無形文化遺産継承者である張可水さん(87)が、数多くの頭飾りや舞台衣装の間に身をかがめ、一点一点丁寧に整えていた。
「この頭飾りをご覧ください。見た目の美しさはもちろん、軽さも重要なのです。そうでなければ、芯子の頂上に立つ役者の演技に支障が出てしまいます」と、張さんは指先でそっと飾りに触れながら説明した。
張さんにとって、芯子は単なる観光客向けの見せ物ではない。その真の意義は、広い参加性と人々を結び付ける力にあるという。「昔は商人たちが人を集めるために催していたが、やがて地域住民を結び付ける絆となった。担ぐ者、支える者、演じる者、観る者――一つの行事で皆が集まるのです」と語る。
しかし現在、この伝統技芸の継承は厳しい課題に直面している。ベテランの伝承者たちは高齢化が進み、一方、芯子の訓練や上演は非常に大変で、さらに現代は娯楽の選択肢も多様化しているため、若い世代の担い手が不足している。役者の確保や体系的な継承が難しくなっているのである。
「それでも何としても、世代を超えて伝えていきたい。ここで途絶えさせるわけにはいかない」――これが張さんの最も強い思いである。そのため彼は、伝統演目に周村の絹織物の歴史など地域の要素を取り入れ、より土地に根差した内容へと工夫している。また学校にも足を運び、子どもたちに芯子の歴史や物語を語り聞かせている。「伝統を面白く、親しみやすくすることでこそ、若い世代の関心と愛着を引き出せる。そうして自然に文化の根が受け継がれていくのです」と張さんは語った。
茶館に新たな物語を紡ぐ
午後、張店区の金帯公園のサンクン広場にある聊斎茶館に足を踏み入れると、陽光が大きな窓から差し込み、木製の茶卓を柔らかく照らしていた。ここは伝統的な茶館ではなく、もともと文具会社の店舗だった建物を転用した複合型文化空間である。壁際の棚には文具や文化クリエーティブ商品が並び、中央に設けられた小さな舞台では、曲芸の演者が地元の方言で聊斎俚曲(『聊斎志異』をもとにした語り芸)を語っている。
すでに触れたように、志怪小説の名作『聊斎志異』の作者である蒲松齢は淄博の出身である。晩年、彼は自らの創作した台本に当時流行していた俗曲や時調を組み合わせ、独特の音楽文学形式を生み出した。歌唱・語り・演技を通して物語を語り、人物を描き、倫理観を示し、社会の現実や封建社会の暗部を批判するものである。彼の書斎号が「聊斎」であったことから、この芸能は「聊斎俚曲」と呼ばれるようになった。
舞台上では、中年の父親役が斜め襟の灰色の長袍をまとい、眉をひそめながら不孝な息子の話を語る。両脇に立つ若い息子役が、ところどころで短い語りを挟む。やがて父親の高らかな語りで話が締めくくられ、その後、哀切な旋律の歌へと移る。歌詞は一字一音で丁寧に歌われ、文末の音が引き延ばされて旋律を描く。この「引き延ばし」は、聊斎俚曲における代表的な感情表現の一つである。
客席では、20代前半と思しき若者たちがふた付きの茶わんを手に、じっと聴き入っている。滑稽な場面では思わず笑みがこぼれるが、演者の邪魔にならぬよう、そっと顔を伏せて茶をすする。
伝えられるところによれば、300余年前、蒲松齢は蒲家庄の東に茶屋を設け、往来の商人たちとの雑談から奇聞異事を集め、『聊斎志異』を書き上げたという。現代の聊斎茶館は、まさにその現代版の「物語の集積地」であり、人々にぬくもりある文化体験を提供しているのである。
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