自分の息子に危険が迫り、同郷の村人も救援を待っている。大震災が起こった時、四川省都江堰市竜池鎮東嶽村の党支部書記の李従根さんは、共産党員の職責を実行することを選んだ。結局、村人は一命を取りとめたが、息子は亡くなった。
5月12日に発生した四川省汶川大地震の後、汶川県の映秀鎮と一つ山を隔てた東嶽村の山が崩れ、地面が裂けて家屋も次から次へと崩壊した。李従根さんは、第一陣の村人を比較的広い空き地に避難させた後になって、地震の時に村を巡回していた息子のことを思い出した。
息子のことは心配だった。しかし援助が必要な被災した村人を見て、息子を探すのはしばらく止めた。
数日後、村民の2人は不幸にして亡くなったが、あとの約200人は無事だった。そして17日になって、息子の李強さんが山から転がり落ちてきた石にぶつかり、亡くなったことを知る。
息子の犠牲は、この経験の長い共産党員の強い意志を打ち破らない。李さんは今まで通り、被災した村人を慰め、飲料水やインスタントラーメンなどを配っている。
村人の安全を確保してから、李さんはやっと父親として、初めて息子が眠る場所にやってきた。
「チャイナネット」2008年5月20日 |